聖覚法印表白文
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法然聖人御往生の六七日に修した仏事での聖覚法印の「表白文」からとされる。聖覚法印(1167~1235)は、藤原通憲の孫で安居院流の唱導(説教)師として安居院法印聖覚と呼ばれ流暢な文体は師の文才をおもわせる。聖覚法印は、御開山より六歳年長であり、比叡山で聖道門の修行に行きづまり、生死出づべき道に懊悩していた御開山が法然聖人の下へ参じる縁となる法然浄土教の大まかな概要を伝えた人とされる。御開山は晩年に至るまで、「この世にとりてはよきひとびとにておはします」と関東の門弟に聖覚法印の『唯信鈔』をお奨めであった(御消息4)。ともあれ、我々門徒として、御開山の作られた和讃の、口になずみ耳に覚えた「恩徳讃」の文の出拠としての聖覚法印の「表白文」である。
- 聖覚法印表白文
法然上人之御前而 隆信右京大夫入道{法名戒佛} 親盛大和入道{法名見佛} 為上人之御報恩謝徳修御仏事 御道師法印聖覚表白詞曰
夫根有利鈍者 教有漸頓 機有奢促者 行有難易。
- それ根に利鈍あれば、教に漸頓あり。機に奢促あれば、行に難易あり。
当知 聖道諸門漸教也 又難行也。
- まさに知るべし、聖道の諸門は漸教なり、また難行なり。
浄土一宗者頓教也 又易行也。
- 浄土の一宗は頓教なり、また易行なり。
所謂真言止観之行 獼猴情難学 三論法相之教 牛羊眼易迷。
- いはゆる真言・止観の行、獼猴の情学びがたく、三論・法相の教、牛・羊の眼迷ひやすし。
然至我宗者 弥陀本願 定行因於十念 善導料簡 決器量於三心。
- しかるにわが宗に至りては、弥陀の本願、行因を十念に定め、善導の料簡、器量を三心に決す。
雖非利智精進 専念実易勤 雖非多聞広学 信力何不備。
- 利智精進にあらずといへども、専念まことに勤めやすし、多聞広学にあらずといへども、信力なんぞ備はらざらん。
- {以下乃至の文}
況諭滅罪之功力 消五逆於称名之十声 談生善之徳用 極十地於順次之一生。
- いわんや滅罪の功力を諭ずれば、五逆を称名の十声に消し、生善の徳用を談ずれば、十地を順次の一生に極む。
依之濁世之凡夫 横截五趣之昏衢[1] 末代之愚士堅極九品之階級。
- これに依って濁世の凡夫、横に五趣の昏衢を截り、末代の愚士、堅に九品の階級を極む。
- {ここまで}
然我大師聖人 為釈尊之使者 弘念仏一門 為善導之再誕 勧称名一行。
- しかるにわが大師聖人、釈尊の使者として念仏の一門を弘め、善導の再誕として称名の一行を勧めたまへり。
専修専念之行 自此漸弘 無間無余之勤 在今始知。
- 専修専念の行、これよりやうやく弘まり、無間無余の勤め、いまにありてはじめて知りぬ。
然則破戒罪根之輩 加肩入往生之道 下智浅才之類 振臂赴浄土之門。
- しかればすなはち、破戒罪根の輩、肩を加(きし)りて往生の道に入り、下智浅才の類、臂を振うて浄土の門に赴く。
誠知 無明長夜之大灯炬也 何悲智眼闇。
- まことに知りぬ、無明長夜の大いなる灯炬なり、なんぞ智眼の闇きことを悲しまん。
生死大海之大船筏也 豈煩業障重。
- 生死大海の大いなる船筏なり、あに業障の重きことを煩はんや。
- {以下後略の文}
爰法王 幸依上人化導 大信彼仏本願 浄土往生 敢不残疑 弥陀来迎只専憑者歟。
- ここに法王、幸いに上人の化導に依りて、大いにかの仏の本願を信ぜしめり、浄土往生、あえて疑を残さず、弥陀の来迎ただもっぱら憑むべきものか。
豈圖悠悠生死 以今生為最後 漫漫流転 以此身為際限。
- あに、はかりきや悠悠たる生死、今生を以て最後となし、漫漫たる流転、この身を以て際限となす。
倩思教授恩徳 実等弥陀悲願者歟。
- つらつら教授の恩徳を思えば、実に弥陀の悲願に等しきものか。
粉骨可報之 摧身可謝之。
- 骨を
粉 にしてこれを報ずべし、身を摧いてこれを謝すべし。
依之報恩斎会 修於眼前 知遇願念萌於心中。
- これに依て報恩の斎会、眼前に修し知遇の願念、心中にきざす。
願弥陀如来・善導和尚 鑑信心垂哀愍 大師上人 同学等侶 照懇志致随喜。
- 願わくは弥陀如来・善導和尚、信心をかんがみて哀愍を垂れ、大師上人、同学等侶、懇志を照らして随喜をいたしたまへ。
自他同往生極楽界 師弟共奉仕弥陀仏。
- 自他同じく極楽界に往生し、師弟ともに弥陀仏に奉仕せん。
蓮華初開之時[2] 先悟今日之縁 引接結縁之夕 必導今日之衆。
- 蓮華初開の時、まず今日の縁を悟り、引接結縁の夕べ、必ず今日の衆を導かんと。