とききて候ふ
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とききてそうろふ
法然上人から伝え聞いた法義であるから、「とききて候ふ」という。 (正像 P.621,消息 P.769)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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『和語灯録』諸人伝説の詞に、
- 又いはく、法爾道理といふ事あり。ほのほはそらにのほり、水はくだりさまにながる。菓子の中にすき物あり、あまき物あり。これらはみな法爾道理也。阿弥陀ほとけの本願は、名号をもて罪悪の衆生をみちびかんとちかひ給たれば、ただ一向に念仏だにも申せば、仏の来迎は、法爾道理にてそなはるべきなり。p.683
とある。法爾道理とは『瑜伽師地論』の四種道理の一、法爾道理(法然道理ともいう。火に熱さがあるように、あるがままのすがたで不変の本性を完成しているという道理)をいうのであろう。また法然聖人は「しかるに源空は、させる因縁もなくして法爾法然と道心をおこすがゆへに、師匠名をさづけて法然となづけ給ひし也」ともいわれている。