別時意
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べつじい
別時意趣のこと。 『
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
四意趣とは、時、相手、場所などによって異なる説き方の経典間の相互矛盾を四種に分類し、その方便の意趣を示したもの。
- 平等意 差別にとらわれた者を導く説き方
- 別時意 懈怠の障りを除くために用いる説き方
- 別義意 法を軽んずる心を破るために用いる説き方
- 衆生楽欲意 向上心を起こさせるための説き方
- 願行具足論
この摂論学徒の往生別時意の論破が善導大師の願行具足論である。(玄義分p.324)
『摂大乗論』では、「唯だ発願するに由りて安楽仏土に於いて、
- 「譬えば、一金銭を営むに由つて千金銭を覓(もと)めて得るとは、一日に千を得るには非ず、別時に由つて千を得るが如し。如来の意もまた爾なり。此の一金銭を千金銭の因と為す。仏名を誦持するもまた爾なり。退堕せずを菩提の因と為すなり」(*)
と、今の称仏は、遠い未来 (別時)に得ることをすぐに得られるように説いた方便説であるという。たとえば日に一の金銭を蓄積すれば、やがて未来に千の金銭を得ることができるようなものだとする。称仏の果を得るのは遠い未来のことだというのである。
それに対して善導大師は、たしかに願のみでは「遠生のために因」であるといえるが、『摂大乗論』では、願について論ずるのみで、行について論じていないから後の摂論学徒は誤解したのだとする。善導大師は、「今時の一切の行者、知らずなんの意ぞ、凡小の論にすなはち信受を加へ、諸仏の誠言を返りてまさに妄語せんとする」(玄義分 P.323) と「凡小の論にすなはち信受を加へ」と仰信の強烈な言葉を発している。
そして、有名な六字釈、
- いまこの『観経』のなかの十声の称仏は、すなはち十願十行ありて具足す。 いかんが具足する。
- 「南無」といふはすなはちこれ帰命なり、またこれ発願回向の義なり。 「阿弥陀仏」といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得。(玄義分p.325)
と、南無阿弥陀仏と称えることは、南無は帰命という「願」であり、阿弥陀仏とは第十八願の乃至十念という阿弥陀仏が選択された「行」であり、南無という「願」と阿弥陀仏の選択した「行」が具足しているから、
また、浄土へ往生するということは、正報(仏陀と成ること)ではなく、依報(仏の報仏国土)を目指すものであるから、摂論学徒は、この点でも『摂大乗論』の意図を誤解しているのであると論破された。なお御開山の六字釈(*)は、この善導大師の六字釈を元に本願力回向の立場で解釈されておられ、願行具足論は使われていないので注意すること。
- 自攝論至此百有餘年。諸徳咸見此論文。不修西方淨業。
- 摂論ここに至ってより百有余年、諸徳ことごとく此の論文を見て西方の浄業を修せず。
;;;『選択伝弘決疑鈔』(良忠)には、
- 攝論渡於漢土已來 百有餘年世人皆依別時意文 廢西方行
- 『攝論』漢土に渡りしよりこのかた、百有余年、世人みな別時意の文によって西方の行を廃す。
- 其後善導懷感出世 撰疏製論破之會之 念佛興行于今強盛也。
- その後、善導・懷感出世して疏を撰じ論を製し、これを破しこれを会ししかば念仏の興行いまに強盛なり。
とあり別時意説によって〔なんまんだぶ〕を行ずる者が激減したといわれている。