疑
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ぎ 疑
(梵)ヴィチキトサー vicikitsá の訳。心所(心のはたらき)の一。仏教の真理に対して心がためらい決定しないこと。信に相対する。 倶舎宗では不定地法の一。唯識宗では六根本煩悩の一。なお広義では、一般に煩悩でない疑いをも含める。疑いの気持ちが入り乱れて決定しないことを網にたとえて疑網(ぎもう)という。自らを疑い、師を疑い、法を疑うのを三疑という。(仏教語辞典)
- →疑蓋
なりたち出典『角川新字源 改訂新版』(KADOKAWA)
- 象形。つえをついた人が、どちらの道を行くべきかと、まよっている形にかたどる。心を決めかねることから、「うたがう」意を表す。
法然聖人は『選択集』で「信疑決判」し、
- 当知生死之家 以疑為所止 涅槃之城 以信為能入
- まさに知るべし、生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。 (選択集 P.1248)
と、疑えば生死に迷うのであり、信ずればよく涅槃へ入るといわれた。
そもそも信の反対語は不信なのだが、法然聖人は疑といわれた。御開山はこれを承けられて「正信念仏偈」で、
- 還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入
- 生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもつて所止とす。すみやかに寂静無為の楽に入ることは、かならず信心をもつて能入とすといへり。(行巻 P.207)
とされておられた。