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2016年11月14日 (月) 21:03時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

たい/てい

Ⅰ (たい) 本質。本体。当体。そのもの。(教巻 P.135, 行巻 P.155, 浄文 P.478, 御文章 P.1114, P.1147, P.1186, P.1198,消息 P.761定善義 P.445)

Ⅱ (てい) ようす。ありさま。(御文章 P.1102, P.1164)


Ⅲ ここでは観仏三昧および念仏三昧の体 (本質) という意。 (玄義分 P.305)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

(たい)(そう)(ゆう)として仏教で対象を把握するときに使われる概念。
体とは,本体のこと。相とは,本来の性質の意。用とは,性質のもつ働きを指す。用とははたらきという意。例すれば仏とは、真如法性の完全なる顕現体である仏を体とし、その真如法性が人々を揺り動かして悟りへの道を歩ませていくことを相、そういう真如法性のはたらいているすがたを用として、体・相・用に分けて理解しようとするような方法。 法然聖人は、『西方指南抄』の「四箇条問答」で、体・用について論じられている。