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トーク

四依

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2014年5月15日 (木) 14:17時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

復次汝言。仏自説女人不得作五事。二転輪聖王不得同時出世。仏亦如是。同時一世亦無二仏。汝不解此義。仏経有二義。有易了義。有深遠難解義。

また次ぎに、汝は、仏、自ら説きたまわく、女人は五事を作すを得ず、二転輪聖王の同時に世に出づることを得ず、仏も、またかくの如く、同時の一世にはまた二仏無し、と言うも、汝はこの義を解せず。仏の経には二義あり、易了の義、深遠難解の義あり。

如仏欲入涅槃時。語諸比丘従今日応依法不依人。応依義不依語。応依智不依識。応依了義経不依未了義。

仏の涅槃に入らんと欲したもう時の如きは、諸の比丘に語りたまわく、今日よりは、まさに法に依りて人に依るべからず。まさに義に依りて語に依るべからず。智に依りて識に依るべからず。了義経に依りて未了義に依るべからず、と。

依法者法有十二部応随此法。不応随人。依義者。義中無諍好悪罪福虚実故。語以得義義非語也。如人以指指月以示惑者。惑者視指而不視月。人語之言。我以指指月令汝知之。汝何看指而不視月。此亦如是。語為義指。語非義也。是以故不応依語。

法に依るとは、法に十二部有り、まさにこの法に随うべくして、まさに人に随うべからず。義に依るとは、義の中は無諍なり、好悪、罪福、虚実の故に、語を以って義を得るも、義は語に非ざるなり。人の指を以って月を指し、以って惑者に示すに、惑者は指を視て、月を視ず。人、これに語りて、われは指を以って月を指し、汝をしてこれを知らしめんとするに、汝は何んが指を看て、月を視ざる、と言うが如く、これもまたかくの如く、語は義の為に指すも、語は義に非ざるなり。ここを以っての故に、まさに語に依るべからず。

依智者。智能籌量分別善悪。識常求楽不入正要。是故言不応依識。依了義経者。有一切智人 仏第一。一切諸経書中仏法第一。一切衆生中比丘僧第一。

智に依るとは、智はよく善悪を籌量し、分別するも、識は常に楽を求めて正要に入らず、この故に、まさに識に依るべからず、と言う。了義経に依るとは、一切の智人には、仏第一なり。一切の経書の中には、仏法第一なり。一切の衆生の中には、比丘僧第一なり。

布施得大富。持戒得生天。如是等是了義経。

布施は大富を得、持戒は天に生ずることを得、かくの如き等はこれ了義経なり。

如説法師。説法有五種利。一者大富。二者人所愛。三者端正。四者名声。五者後得涅槃。是為未了義。云何未了。施得大富是為了。了可解。説法無財施而言 得富。得富者説法人種種讃施。破人慳心亦自除慳。以是因縁得富。是故言未了。

法師の法を説くに、五種の利有り、一に大富、二に人に愛さる、三に端正、四に名声、五に後に涅槃を得、と説くが如き、これを未了義と為す。何んが未了なる、施は大富を得、これを了と為す、了(あき)らかに解すべし。法を説いて財施無きに、富を得、と言うは、富を得とは、説法の人、種種に施を讃じて、人の慳心を破り、また自らも慳を除くに、この因縁を以って富を得。この故に「未了」と言うなり。

是多持経方便説非実義。是経中仏雖言世無二仏倶出。不言一切十方世界。雖言 世無二転輪聖王。亦不言一切三千大千世界無。但言四天下世界中。無二転輪聖 王。作福清浄故独王一世無諸怨敵。若有二王不名清浄。

この『多持経』は、方便に実義に非ざるを説けるなり。この『経』の中に、仏を、世に二仏の倶に出づること無し、と言うといえども、一切の十方の世界、と言わず。、世に二転輪聖王無し、と言うといえども、また、一切の三千大千世界に無し、とは言わず、ただ、四天下の世界の中に、二転輪聖王無し、と言うのみ。福を作して清浄なるが故に、独り一世に王たりて、諸の怨敵無く、もし二王有らば清浄と名づけず。

雖仏無嫉妬心。然以行業世世清浄故。亦不一世界有二仏出。百億須弥山。百億日月。名為三千大千世界。如是十方恒河沙等三千大千世界。是名為一仏世界。是中更無余仏。実一釈迦牟尼仏。是一仏世界中。常化作諸仏種種法門種種身種種因縁種種方便。以度衆生。以是故。多持経中。一時一世界無二仏。不言十方無仏。

仏は、嫉妬心無しといえども、然も行業の世世に清浄なるを以っての故に、また一世界に、二仏の出づること有らず。百億の須弥山、百億の日月を名づけて三千大千世界と為し、かくの如き十方の恒河沙等の三千大千世界、これを名づけて一仏世界と為し、この中には更に余仏無し。実に一釈迦牟尼仏は、これ一仏世界の中に、常に諸仏、種種の法門、種種の身、種種の因縁、種種の方便を化作して、以って衆生を度したもう。ここを以っての故に、『多持経』の中には、一時一世界に二仏無く、「十方に仏無し」とは言わず。

復次如汝言。仏言一事難値是仏世尊。又言九十一劫。三劫有仏余劫皆空無仏甚可憐愍。仏為此重罪不種見仏善根人説言。仏世難値如優曇波羅樹華時時一有。如是罪人輪転三悪道。或在人天中仏出世時。其人不見如説。舎衛城中九億家。三億家眼見仏。三億家耳聞有仏而眼不見。三億家不聞不見。仏在舎衛国二十五年。而此衆生不聞不見。何況遠者。

また次ぎに、汝が、仏の言わく、一事にして値い難しとは、これ仏世尊なりと、と言い、また、九十一劫に、三劫は仏有り、余の劫は皆空しく仏無く、甚だ憐愍すべし、と言うが如きは、仏は、この重罪にして、仏を見る善根を種えざる人の為に説いて、「仏世の値い難きこと、優曇波羅樹に華の時時一有るが如し」と言うなり。かくの如き罪人は、三悪道を転輪し、或は人天中の仏の出世持に在りても、その人の見ず。説の如きは、舎衛城の中の九億の家の、三億の家は眼に仏を見、三億の家は耳に仏有りと聞くも、眼に見ず、三億の家は聞かず見ずと。仏は舎衛国に在すこと二十五年なるも、この衆生は聞かず見ざるなり、何に況んや、遠き者をや。

智度論