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もし一心も少けぬれば

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2018年12月19日 (水) 03:49時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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もしいっしんもかけぬれば

 至誠心・深信・回向発願心のうちの一つでも欠けたならばの意。 親鸞聖人は『唯信鈔文意』 では、この文の 「一心」 を三心即一の一心 (真実信心) と解釈されている。 (往生礼讃 P.655)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『観経』の三心をえてのちに、『大経』の三信心をうるを一心をうるとは申すなり