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だいぼさつ
 
だいぼさつ
  
 『論註』の当分は、浄土に往生した菩薩のことであるが、親鸞聖人は法蔵菩薩のこととみなされている。したがって引文は「現じたまふ」「成就したまへり」等と、敬語で読まれている。([[行巻#P--190|行巻 P.190]])
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 『論註』の当分は、浄土に往生した菩薩のことであるが、親鸞聖人は法蔵菩薩のこととみなされている。したがって引文は「現じたまふ」「成就したまへり」等と、敬語を付されている。([[行巻#P--190|行巻 P.190]])
  
 
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2005年10月11日 (火) 20:48時点における最新版

だいぼさつ

 『論註』の当分は、浄土に往生した菩薩のことであるが、親鸞聖人は法蔵菩薩のこととみなされている。したがって引文は「現じたまふ」「成就したまへり」等と、敬語を付されている。(行巻 P.190)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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