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今様とは、「当世風」「今風」という意味で、七・五調の四句を基本とし、五・七調の和歌の抒情的表現から脱した自由で素朴な表現で庶民に親しまれた歌である。後白河法皇は、幼少のころから、この素朴な表現の今様を好み、後に『梁塵秘抄』として集成された。<br />
 
今様とは、「当世風」「今風」という意味で、七・五調の四句を基本とし、五・七調の和歌の抒情的表現から脱した自由で素朴な表現で庶民に親しまれた歌である。後白河法皇は、幼少のころから、この素朴な表現の今様を好み、後に『梁塵秘抄』として集成された。<br />
 
御開山は和歌を抒情的な[[綺語]]としてみておられたので、当時の庶民に親しまれていた、七・五調の今様形式で仏徳を、[[和讃]](やわらげほめ:左訓)されたのであった。
 
御開山は和歌を抒情的な[[綺語]]としてみておられたので、当時の庶民に親しまれていた、七・五調の今様形式で仏徳を、[[和讃]](やわらげほめ:左訓)されたのであった。
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2024年12月5日 (木) 23:05時点における版

いまよう

今様とは、「当世風」「今風」という意味で、七・五調の四句を基本とし、五・七調の和歌の抒情的表現から脱した自由で素朴な表現で庶民に親しまれた歌である。後白河法皇は、幼少のころから、この素朴な表現の今様を好み、後に『梁塵秘抄』として集成された。
御開山は和歌を抒情的な綺語としてみておられたので、当時の庶民に親しまれていた、七・五調の今様形式で仏徳を、和讃(やわらげほめ:左訓)されたのであった。

和讃