「顕正流義鈔」の版間の差分
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Ⅵ-1175顯正流義鈔[本] それ一向專修の行者は、ひとへに萬行諸善をさしおき、疑心自力のこゝろをすてゝ、ひとすぢに本願をたのみ、もはら名號をとなふべきなり。そのゆへは、彌陀の弘誓は四十八なれども、第十八の願を本とす。釋尊また「一向專念無量壽佛」(大經*卷下)ととき、諸佛はしたをのべて專持名號の說を證誠したまふ。そのほか、天竺の菩薩・唐土の祖師・和朝の人師、こゝろをつくし、ことばをあらはして勸進す。佛はおゝくましますといへども、彌陀はいまのときのわれら衆生に縁ふかし。法はよろづにわかれたれども、名號は末法五濁の根機に相應す。妙樂大師(十疑論)は「彌陀與此世界、極惡衆生、偏有因縁」と釋し、弘法大師は「人命无常、猶如蚨