「荘子」の版間の差分
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むかし、孔子の門人の子貢がある地方に行ったとき、一人の老人が〔井戸に降りて〕かめに水をいれて畠の作物に水をやっていた。それを見た子貢が、いちいち水を汲んでいたら骨が折れてしかたがない。いまはつるべという機械ができているのだから、それを用いるがよいというと、その老人は、わたしもそのことを知らぬわけではないが、ただ恥じて使わないのだと、右のようにいったという。(『中国古典名言辞典』p.360) | むかし、孔子の門人の子貢がある地方に行ったとき、一人の老人が〔井戸に降りて〕かめに水をいれて畠の作物に水をやっていた。それを見た子貢が、いちいち水を汲んでいたら骨が折れてしかたがない。いまはつるべという機械ができているのだから、それを用いるがよいというと、その老人は、わたしもそのことを知らぬわけではないが、ただ恥じて使わないのだと、右のようにいったという。(『中国古典名言辞典』p.360) | ||
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2024年9月5日 (木) 23:11時点における版
『荘子』には、
- 有機械者 必有機事、有機事者必有機心
- 機械ある者は、必ず機事あり。機事ある者は、必ず機心あり。
とある。
機械ができると、便利と考え、その機械を用いる仕事が起こってくる。ところが、機械はからくりであるから、このからくりに従事していると、いつとはなしにそれに振りまわされ、いわゆる機心、投機心(機械に投じる心)が起こってくる。
つまり、機械の発達は喜ぶべきことではあるが、機械に振りまわされては、人間の心の不在を招く。
むかし、孔子の門人の子貢がある地方に行ったとき、一人の老人が〔井戸に降りて〕かめに水をいれて畠の作物に水をやっていた。それを見た子貢が、いちいち水を汲んでいたら骨が折れてしかたがない。いまはつるべという機械ができているのだから、それを用いるがよいというと、その老人は、わたしもそのことを知らぬわけではないが、ただ恥じて使わないのだと、右のようにいったという。(『中国古典名言辞典』p.360)