「火㮇」の版間の差分
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'''火㮇の譬'''。『論註』では、衆生を成仏させようとしている間に自らが仏に成られたことを、火㮇の譬で示している。 | '''火㮇の譬'''。『論註』では、衆生を成仏させようとしている間に自らが仏に成られたことを、火㮇の譬で示している。 | ||
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2024年6月19日 (水) 19:19時点における版
かてん
木の火ばし。 (論註 P.145)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
第十八願に「若不生者 不取正覚(もし生ぜずは、正覚を取らじ)」とある。もし衆生を浄土に生れさせることができなければ、わたしは決してさとりを開きません、とある。しかし、法蔵菩薩はすでに十劫の昔に阿弥陀仏として成仏してしまっている。この疑問に対して曇鸞大師は「火㮇(木の火ばし)の譬え」として答えておられた。
火㮇の譬。『論註』では、衆生を成仏させようとしている間に自らが仏に成られたことを、火㮇の譬で示している。
- 「巧方便」とは、いはく、菩薩願ずらく、おのが智慧の火をもつて一切衆生の煩悩の草木を焼かんに、もし一衆生として成仏せざることあらば、われ作仏せじと。しかるに、かの衆生いまだことごとく成仏せざるに、菩薩すでにみづから成仏す。
- たとへば火㮇をして一切の草木を摘みて焼きて尽さしめんと欲するに、草木いまだ尽きざるに、火㮇すでに尽くるがごとし。その身を後にして、しかも身先だつをもつてのゆゑに巧方便と名づく。 このなかに「方便」といふは、いはく、一切衆生を摂取して、ともに同じくかの安楽仏国に生ぜんと作願す。かの仏国はすなはちこれ畢竟成仏の道路、無上の方便なり。(論註 P.145)
火