「浄土真宗聖典目次」の版間の差分
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− | [[浄土教]]というのは、元来大人の宗教なんです。いい歳をして悪いことだと知りながら、性懲りもなく愛欲や憎悪の煩悩を起こし、人を<kana>妬(ねた)</kana>んだりそねんだりして、自分で悩み苦しんでいる、そんな自分の愚かさと惨めさに気づきながら、その悪循環を断ち切れない自分に絶望したところから、浄土教は始まるのです。その意味で浄土の教えは決して「きれいごと」の宗教ではありません。<br /> | + | : [[浄土教]]というのは、元来大人の宗教なんです。いい歳をして悪いことだと知りながら、性懲りもなく愛欲や憎悪の煩悩を起こし、人を<kana>妬(ねた)</kana>んだりそねんだりして、自分で悩み苦しんでいる、そんな自分の愚かさと惨めさに気づきながら、その悪循環を断ち切れない自分に絶望したところから、浄土教は始まるのです。その意味で浄土の教えは決して「きれいごと」の宗教ではありません。<br /> |
− | そうした自分のぶざまな愚かさを見すえながら、そんな自分に希望と安らぎを与えてくれる[[阿弥陀如来]]の[[本願]]のはたらきを「[[他力]]」と仰いでいるのです。だから[[他力]]とは、私を人間の常識を超えた精神の領域へと開眼させ、導く阿弥陀仏の[[本願力]]を讃える言葉だったのです。([https://www.amazon.co.jp/%E8%A6%AA%E9%B8%9E%E8%81%96%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88%E3%83%BB%E5%95%8F%E7%AD%94%E9%9B%86-%E6%A2%AF-%E5%AF%A6%E5%9C%93/dp/4804613137 『親鸞聖人の教え・問答集』]p.103) | + | : そうした自分のぶざまな愚かさを見すえながら、そんな自分に希望と安らぎを与えてくれる[[阿弥陀如来]]の[[本願]]のはたらきを「[[他力]]」と仰いでいるのです。だから[[他力]]とは、私を人間の常識を超えた精神の領域へと開眼させ、導く阿弥陀仏の[[本願力]]を讃える言葉だったのです。([https://www.amazon.co.jp/%E8%A6%AA%E9%B8%9E%E8%81%96%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88%E3%83%BB%E5%95%8F%E7%AD%94%E9%9B%86-%E6%A2%AF-%E5%AF%A6%E5%9C%93/dp/4804613137 『親鸞聖人の教え・問答集』]p.103) |
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と仰っておられた。その意味では[[浄土真宗]] の[[信心]]とは、[[二種深信]]の第一深信で説かれる、いわゆる[[悪人正機]]の[[法義]]でもあった。[[真宗]]の僧俗の中で、どうせ私は[[凡夫]]ですからとうそぶき、自らの内面の悪([[煩悩]])を見つめない者を「[[慙愧]]なき[[真宗]]は[[外道]]に堕する」といふゆえんである。[[浄土真宗]]とは、[[往生]][[浄土]]を[[真実]]とする[[宗教]]という意味である。[[悪業]][[煩悩]]を持つゆえ、この土で[[さとり]]を完成することが出来ないという挫折感をとおして[[浄土]]へ[[往生]]して[[さとり]]を得させることを目的とする[[阿弥陀如来]]の[[本願]]の[[仏法]]である。<br /> | と仰っておられた。その意味では[[浄土真宗]] の[[信心]]とは、[[二種深信]]の第一深信で説かれる、いわゆる[[悪人正機]]の[[法義]]でもあった。[[真宗]]の僧俗の中で、どうせ私は[[凡夫]]ですからとうそぶき、自らの内面の悪([[煩悩]])を見つめない者を「[[慙愧]]なき[[真宗]]は[[外道]]に堕する」といふゆえんである。[[浄土真宗]]とは、[[往生]][[浄土]]を[[真実]]とする[[宗教]]という意味である。[[悪業]][[煩悩]]を持つゆえ、この土で[[さとり]]を完成することが出来ないという挫折感をとおして[[浄土]]へ[[往生]]して[[さとり]]を得させることを目的とする[[阿弥陀如来]]の[[本願]]の[[仏法]]である。<br /> |
2024年2月18日 (日) 15:16時点における版
令和の領解文騒動について
生きることに意味があるように、死ぬることにも意義がある、と説くのが往生浄土の真宗です。その据わりは親鸞聖人の『教行証文類』です。
宗教とは、宗と教え、また、宗の教えの意で仏教のもろもろの教え、あるいはその中の一つを指していう。それは自らの存在の意味を確認しようといふ「存在理解の枠組み」でもあった。この種々の仏教の中で、浄土真宗は大人の宗教だといわれる。梯實圓和上は、それを、
- 浄土教というのは、元来大人の宗教なんです。いい歳をして悪いことだと知りながら、性懲りもなく愛欲や憎悪の煩悩を起こし、人を
妬 んだりそねんだりして、自分で悩み苦しんでいる、そんな自分の愚かさと惨めさに気づきながら、その悪循環を断ち切れない自分に絶望したところから、浄土教は始まるのです。その意味で浄土の教えは決して「きれいごと」の宗教ではありません。 - そうした自分のぶざまな愚かさを見すえながら、そんな自分に希望と安らぎを与えてくれる阿弥陀如来の本願のはたらきを「他力」と仰いでいるのです。だから他力とは、私を人間の常識を超えた精神の領域へと開眼させ、導く阿弥陀仏の本願力を讃える言葉だったのです。(『親鸞聖人の教え・問答集』p.103)
と仰っておられた。その意味では浄土真宗 の信心とは、二種深信の第一深信で説かれる、いわゆる悪人正機の法義でもあった。真宗の僧俗の中で、どうせ私は凡夫ですからとうそぶき、自らの内面の悪(煩悩)を見つめない者を「慙愧なき真宗は外道に堕する」といふゆえんである。浄土真宗とは、往生浄土を真実とする宗教という意味である。悪業煩悩を持つゆえ、この土でさとりを完成することが出来ないという挫折感をとおして浄土へ往生してさとりを得させることを目的とする阿弥陀如来の本願の仏法である。
目次
浄土三部経
浄土真宗聖典 七祖篇(註釈版)
- 十住毘婆沙論 龍樹菩薩
- 浄土論 天親菩薩
- 浄土論註 曇鸞大師
- 讃阿弥陀仏偈 曇鸞大師
- 安楽集 道綽禅師
- 観経疏 玄義分 善導大師
- 観経疏 序分義 善導大師
- 観経疏 定善義 善導大師
- 観経疏 散善義 善導大師
- 法事讃 善導大師 #
- 観念法門 善導大師 #
- 往生礼讃 善導大師
- 般舟讃 善導大師
- 往生要集上巻 源信僧都
- 往生要集中巻 源信僧都
- 往生要集下巻 源信僧都
- 選択本願念仏集 法然聖人
浄土真宗聖典(註釈版)第二版
- 各巻中の一連番号をクリックすることで、読み下し、現代語、漢文(原文)、読み下しと対応する文を読むことが出来ます。
聖典に準ずるものとして浄土真宗聖典(註釈版)に掲載されているもの
- 恵信尼消息 恵信尼公
- 執持鈔 覚如上人
- 口伝鈔 覚如上人
- 改邪鈔 覚如上人
- 真要鈔 存覚上人
- 持名鈔 存覚上人
- 正信偈大意 蓮如上人
- 御伝鈔 覚如上人
- 報恩講私記 覚如上人
- 嘆徳文 存覚上人
- 御文章_(一帖) 蓮如上人
- 夏御文章 蓮如上人
- 御俗姓 蓮如上人
- 領解文 伝 蓮如上人
- 唯信鈔 聖覚法印
- 後世物語聞書 伝 隆寛律師
- 一念多念分別事 隆寛律師
- 自力他力事 隆寛律師
- 御裁断御書 本如上人
- 御裁断申明書 本如上人
- 横川法語 伝 源信和尚
- 一枚起請文 法然聖人
註釈版に未記載の文献
註釈版に未記載の親鸞聖人の著書
- 西方指南抄 御開山が、法然聖人の法語・消息・問答・行状記などの遺文を、収集し編纂した書物。
註釈版に未記載の先達の著述
- 聖覚法印表白文 聖覚 御開山が『尊号真像銘文』で引文の『聖覚法印表白文』
- 拾遺古徳伝絵詞 覚如 覚如上人撰述による法然聖人の伝記。
- 善信聖人絵 覚如 覚如上人が二十六歳の時に作られた『御伝鈔』の初稿。
- 最要鈔 覚如
- 願願鈔 覚如
- 本願鈔 存覚
- 浄土見聞集 存覚
- 存覚法語 存覚
- 弁述名体鈔 存覚
- 慕帰絵詞 従覚
- 最須敬重絵詞 乗専
- 常楽台主老衲一期記 (存覚上人一期記)
- 御文章集成 蓮如 蓮如さんのお手紙(お文)を集めて成った書。帖内のお文も含まれているが、いわゆる「帖外御文章」ともいへる。
法然聖人関連の文書
- 法然上人伝記(醍醐本) 大正6年に醍醐寺三宝院で発見された勢観房源智(1183-1238)または弟子が書き記されたといわれる法然聖人の遺文。
- 三心料簡事 醍醐本 上に同じ。『観経』の三心釈に独自の見解を示されている。
- 聖覚法印表白文
- 三部経大意(良聖本) 金沢文庫本 昭和八年に発見された神奈川県の金沢文庫に襲蔵されてきた法然聖人の法語。
- 三部経大意(真仏本) 専修寺本 真宗高田派に秘蔵されていたが金沢文庫本の公表に伴い公開された良聖本の異本。
- 拾遺古徳伝絵詞 覚如 覚如上人撰述による法然聖人の伝記。
浄土門関連文献
無量寿経の異訳(現存する五存のうちの四訳)
- 無量壽如來會 無量寿経の異訳。いわゆるシナで付加されたという三毒段・五悪段がないのが特徴。
- 無量淸淨平等覺經 無量寿経の異訳。古訳に属するという二十四願系の経典。
- 大阿弥陀経(漢文) 無量寿経の異訳。阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経といい。大阿弥陀経と称される二十四願系の経典。
- 大乗無量寿荘厳経(漢文) 無量寿経の異訳。宋の法賢の訳で本願が三六願である、。御開山は、この経をご覧になっておられなかったのか依用されておられない。
- 称讃浄土仏摂受経 玄奘三蔵による阿弥陀経の異訳。「諸経和讃」で、「百千倶胝の劫をへて 百千倶胝のしたをいだし…」の和讃はこの経に依る。
安心論題二十五題
浄土教の文献サイト
- 真宗聖典検索 Web site(真宗大谷派による聖典検索サイト。検索後の頁数を含む表題をクリックすれば画像情報によって漢字のルビを参照できる)
- WEB版新纂浄土宗大辞典(浄土宗の『浄土宗大辞典』のネット版(018/04/01 公開)。当サイトと同じくウィキペディア(Wikipedia)で使われているMediaWikiを採用したサイト。)