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Ⅱ 梵語フリダヤ (hñdaya) の意訳。中心、中央の意。『法事讃』には「弥陀の化主心に当りて坐す」(七註 561) とある。(浄土真宗辞典)
 
Ⅱ 梵語フリダヤ (hñdaya) の意訳。中心、中央の意。『法事讃』には「弥陀の化主心に当りて坐す」(七註 561) とある。(浄土真宗辞典)
 
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2022年10月6日 (木) 18:22時点における最新版

しん

1. 「力」とする異本がある。(愚禿下 P.522)

2. 諸本にはこの字なし。 (選択本願念仏集(P.1196)

3. 菩提心のこと。 →菩提心(ぼだいしん) (要集 P.868要集 P.872)

4. 浄土の中央。 (法事讃 P.561)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

しん 心 

Ⅰ 梵語 チッタ (citta) の意訳。質多(しつた)と音訳する。こころのこと。『摩訶止観』には「質多とは天竺の音なり、この方には心といふ。心とはすなはち慮知なり」(信巻引文・註 254) とある。

Ⅱ 梵語フリダヤ (hñdaya) の意訳。中心、中央の意。『法事讃』には「弥陀の化主心に当りて坐す」(七註 561) とある。(浄土真宗辞典)