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:Ⅰ (-1479)本願寺7代存如、8代蓮如の門弟。近江国堅田(現在の滋賀県大津市)の本福寺3代。生年は応永3年(1396)とも、その翌年ともいう。存如・蓮如父子が本福寺に立ち寄ったのをきっかけに本願寺へ帰依したとされる。新興商工業者をまとめて堅田門徒を組織し、寛正6年 (1465) に寛正の法難がおこると、蓮如を大いに助けた。 | :Ⅰ (-1479)本願寺7代存如、8代蓮如の門弟。近江国堅田(現在の滋賀県大津市)の本福寺3代。生年は応永3年(1396)とも、その翌年ともいう。存如・蓮如父子が本福寺に立ち寄ったのをきっかけに本願寺へ帰依したとされる。新興商工業者をまとめて堅田門徒を組織し、寛正6年 (1465) に寛正の法難がおこると、蓮如を大いに助けた。 | ||
− | :Ⅱ (1806-1874)大谷派の学僧。院号は開華院。佐渡国(現在の新潟県佐渡市)生まれ。守綱寺 (愛知県名古屋市) 住職。了祥、霊暀に師事。明治4年 (1871) | + | :Ⅱ (1806-1874)大谷派の学僧。院号は開華院。佐渡国(現在の新潟県佐渡市)生まれ。守綱寺 (愛知県名古屋市) 住職。了祥、霊暀に師事。明治4年 (1871) 講師。著書に『教行信証金剛録』『歎異抄聞記続講』などがある。 (浄土真宗辞典) |
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2022年1月26日 (水) 13:11時点における最新版
ほうじゅう
法住
- Ⅰ (-1479)本願寺7代存如、8代蓮如の門弟。近江国堅田(現在の滋賀県大津市)の本福寺3代。生年は応永3年(1396)とも、その翌年ともいう。存如・蓮如父子が本福寺に立ち寄ったのをきっかけに本願寺へ帰依したとされる。新興商工業者をまとめて堅田門徒を組織し、寛正6年 (1465) に寛正の法難がおこると、蓮如を大いに助けた。
- Ⅱ (1806-1874)大谷派の学僧。院号は開華院。佐渡国(現在の新潟県佐渡市)生まれ。守綱寺 (愛知県名古屋市) 住職。了祥、霊暀に師事。明治4年 (1871) 講師。著書に『教行信証金剛録』『歎異抄聞記続講』などがある。 (浄土真宗辞典)