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[[浄土真宗]]で使われる[[業因]]とは果を得べき行徳を意味し、法の[[力用]](ちから・はたらき)をあらわす語である。したがって、仏果を得べき[[業因]]は本願成就の[[名号]]である。そして、個々の人の上に往生成仏の果を得べき因が決定する「[[信心正因]]」という[[名目]]に対し、念仏(なんまんだぶ)は仏果をもたらす本願成就の[[名号]]であるから、なんまんだぶを称えることを「[[念仏往生]]」といふ。
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;業因と正因
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[[浄土真宗]]で使われる業には、① 阿弥陀仏の[[因位]]であった[[法蔵菩薩]]の[[本願]]よりおこる「智慧清浄の業」、その果徳としての阿弥陀仏の「[[大願業力]]」などと用いられる場合、② 阿弥陀仏の[[光明]]に映し出される[[煩悩具足]]の[[凡夫]]のすがたを、[[機の深信]]として表白されたときに「罪業深重」などと用いられる場合、③ 本願力回向の[[大行]]について「本願名号正定業」「称名正定業」などと用いられる場合の3種の用法がある。→[[業]]<br />
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本願名号正定業(本願の名号は正定の業なり)といわれる正定の業の[[業因]]とは③ の本願力回向によって仏果を得べき[[大行]]の行徳を意味し、法の[[力用]](ちから・はたらき)をあらわす語である。したがって、浄土へ往生し仏果を得べき[[業因]]は本願成就の[[名号]]〔なんまんだぶ〕であるから[[業因]]といふ。そして、この[[業因]]を受け容れた個々の人の上に往生成仏の果を得べき因が決定する[[時剋の極促]]を「[[信心正因]]」というのであった。阿弥陀仏の衆生済度の名号「法」は時間を超越した[[無分別智]]の顕現であるいから時間を論じない。それに対して[[済度]]すべき衆生は時間的存在であるから、阿弥陀仏の仏心を領解するには時が立つ。これを浄土真宗の先達は[[信心正因]]といふ[[名目]]で示されたのであった。<br />
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念仏(なんまんだぶ)は仏果をもたらす本願成就の[[名号]]である[正定業]であるから、なんまんだぶを称えることを「[[念仏往生]]」の[[業因]]といい、それを受け入れたことを「[[正因]]」といふのである。
  
 
:→[[信心正因]]
 
:→[[信心正因]]

2020年11月8日 (日) 18:56時点における版

ごういん

Ⅰ. 生死の苦果をまねく因となる行為。(行巻 P.169)

Ⅱ. 果をもたらす因となる行為。 ここでは地獄に堕ちる原因となる悪行をいう。 (要集 P.799)

Ⅲ. 果をもたらす因となる行為。 (要集 P.937要集 P.938要集 P.951)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

業因と正因

浄土真宗で使われる業には、① 阿弥陀仏の因位であった法蔵菩薩本願よりおこる「智慧清浄の業」、その果徳としての阿弥陀仏の「大願業力」などと用いられる場合、② 阿弥陀仏の光明に映し出される煩悩具足凡夫のすがたを、機の深信として表白されたときに「罪業深重」などと用いられる場合、③ 本願力回向の大行について「本願名号正定業」「称名正定業」などと用いられる場合の3種の用法がある。→
本願名号正定業(本願の名号は正定の業なり)といわれる正定の業の業因とは③ の本願力回向によって仏果を得べき大行の行徳を意味し、法の力用(ちから・はたらき)をあらわす語である。したがって、浄土へ往生し仏果を得べき業因は本願成就の名号〔なんまんだぶ〕であるから業因といふ。そして、この業因を受け容れた個々の人の上に往生成仏の果を得べき因が決定する時剋の極促を「信心正因」というのであった。阿弥陀仏の衆生済度の名号「法」は時間を超越した無分別智の顕現であるいから時間を論じない。それに対して済度すべき衆生は時間的存在であるから、阿弥陀仏の仏心を領解するには時が立つ。これを浄土真宗の先達は信心正因といふ名目で示されたのであった。
念仏(なんまんだぶ)は仏果をもたらす本願成就の名号である[正定業]であるから、なんまんだぶを称えることを「念仏往生」の業因といい、それを受け入れたことを「正因」といふのである。

信心正因
念仏往生
行業
名の字…