「号は…」の版間の差分
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:「獲」の字は、因位のときうるを獲といふ。「得」の字は、果位のときにいたりてうることを得といふなり。 | :「獲」の字は、因位のときうるを獲といふ。「得」の字は、果位のときにいたりてうることを得といふなり。 | ||
:「名」の字は、因位のときのなを名といふ。「号」の字は、果位のときのなを号といふ。 ([[正像末和讃#P--621|正像 P.621]]) | :「名」の字は、因位のときのなを名といふ。「号」の字は、果位のときのなを号といふ。 ([[正像末和讃#P--621|正像 P.621]]) | ||
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2020年6月23日 (火) 14:57時点における最新版
ごう は…
『正像末和讃』末尾の「自然法爾章」621頁4行以下参照 (唯文 P.700)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- 「獲」の字は、因位のときうるを獲といふ。「得」の字は、果位のときにいたりてうることを得といふなり。
- 「名」の字は、因位のときのなを名といふ。「号」の字は、果位のときのなを号といふ。 (正像 P.621)
- →名の字…