「宝王如来の性起の義」の版間の差分
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2019年11月13日 (水) 17:00時点における版
ほうおうにょらいのしょうきのぎ
『華厳経』「宝王如来性起品」(晋訳巻第三十四?)に、如来の
『華厳経』「宝王如来性起品」に説かれる意を指す。仏果は法性の理に順じて起こったものであるということ。ここでは阿弥陀仏の浄土も同じで真如法性の顕現したものであるという意を示す。 (論註P.60)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
曇鸞大師(476-542)は、智顗 (538-597)によって大成された天台宗の性具説や、法蔵(643-712)による華厳宗の性起説はご存じなかった。曇鸞大師はこの『論註』の宝王如来の性起の義とは、宝王如来と同じように阿弥陀仏の浄土もまた真如法性の顕現と同じであるという意を示されたかったのであろう。
ただ、御開山は後世発展した性具説や性起説を御存じであったので、この『論註』の「性功徳釈」の文によって性具説と性起説をも超えた仏身・仏土である真仏土とは、すべての仏陀がそこから生起する阿弥陀仏の誓願一仏乗を性起とよばれたのであった。