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「善巧方便」の版間の差分

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 巧みな手だての意。 →[[方便]]  ([[二門#P--546|二門 P.546]], [[一代記#P--1268|一代記 P.1268]],[[一代記#P--1286| P.1286]])
 
 巧みな手だての意。 →[[方便]]  ([[二門#P--546|二門 P.546]], [[一代記#P--1268|一代記 P.1268]],[[一代記#P--1286| P.1286]])
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仏・菩薩の[[智慧]]のはたらきそのもので、[[大悲]]の具現としての手段・方法のこと。阿弥陀仏を[[方便法身]]という場合の「方便」がこれに相当する。『高僧和讃』には、
 
仏・菩薩の[[智慧]]のはたらきそのもので、[[大悲]]の具現としての手段・方法のこと。阿弥陀仏を[[方便法身]]という場合の「方便」がこれに相当する。『高僧和讃』には、

2018年10月3日 (水) 12:01時点における版

ぜんぎょう-ほうべん

 巧みな手だての意。 →方便  (二門 P.546, 一代記 P.1268, P.1286)

 たくみな手段、方法。 (要集 P.952)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

ぜんぎょう-ほうべん 善巧方便

仏・菩薩の智慧のはたらきそのもので、大悲の具現としての手段・方法のこと。阿弥陀仏を方便法身という場合の「方便」がこれに相当する。『高僧和讃』には、

釈迦・弥陀は慈悲の父母
 種々に善巧方便し
 われらが無上の信心
 発起せしめたまひけり (高僧 P.591)

とある。→方便 (浄土真宗辞典)

権仮方便
方便
トーク:方便