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「時剋」の版間の差分

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なお仏教では時間を実在とはしない。「時に別体なく、法に依って立つ(時無別体、依法而立)」といわれるように、時間そのものが実在するのではなく、諸法の生滅変化という状況があるのである。
 
なお仏教では時間を実在とはしない。「時に別体なく、法に依って立つ(時無別体、依法而立)」といわれるように、時間そのものが実在するのではなく、諸法の生滅変化という状況があるのである。
  
外部リンク
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『倶舍論頌疏』<br />
 
[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2012/T1823_.41.0886b29.html 時無別体、依法而立]
 
[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2012/T1823_.41.0886b29.html 時無別体、依法而立]

2018年8月24日 (金) 09:51時点における最新版

じこく

 とき。(御文章 P.1114, P.1135)

 時間。 (要集 P.1114要集 P.1116)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

時の剋(きざ)み。剋は刻と通用して時刻の意。連続する時間の中のある一点。
なお仏教では時間を実在とはしない。「時に別体なく、法に依って立つ(時無別体、依法而立)」といわれるように、時間そのものが実在するのではなく、諸法の生滅変化という状況があるのである。

外部リンク
『倶舍論頌疏』
時無別体、依法而立