操作

「青蓮院」の版間の差分

提供: WikiArc

 
2行目: 2行目:
  
 
 天台宗延暦寺三門跡の一。大谷本廟は本院末の妙香院を本所とする法楽寺領の配下にあった。
 
 天台宗延暦寺三門跡の一。大谷本廟は本院末の妙香院を本所とする法楽寺領の配下にあった。
 +
{{Inyou2|
 +
しょうれんいん  青蓮院
  
 +
天台宗の寺院。京都市東山区粟田口三条坊町。
 +
三千院・妙法院とともに延暦寺三[[JWP:門跡|門跡]]の一。比叡山東搭の青蓮坊を起源とする。皇族・摂関家が門主となる門跡寺院で、3代[[慈円]]の時に隆盛を極めた。親鸞は養和元年(1181)、9歳の春に[[慈円]]の坊舎で出家得度したとされ、その坊舎が青蓮院であるともいわれるが、この時点では青蓮院の住持は[[慈円]]の師、覚快である。また、本願寺はかつて青蓮院に属していたため、[[証如]]の代まで歴代宗主は青蓮院で得度するのが慣例となっていた。(浄土真宗辞典)
 +
}}
 
{{JDS|青蓮院}}
 
{{JDS|青蓮院}}

2018年5月27日 (日) 16:22時点における最新版

しょうれんいん

 天台宗延暦寺三門跡の一。大谷本廟は本院末の妙香院を本所とする法楽寺領の配下にあった。

しょうれんいん  青蓮院

天台宗の寺院。京都市東山区粟田口三条坊町。 三千院・妙法院とともに延暦寺三門跡の一。比叡山東搭の青蓮坊を起源とする。皇族・摂関家が門主となる門跡寺院で、3代慈円の時に隆盛を極めた。親鸞は養和元年(1181)、9歳の春に慈円の坊舎で出家得度したとされ、その坊舎が青蓮院であるともいわれるが、この時点では青蓮院の住持は慈円の師、覚快である。また、本願寺はかつて青蓮院に属していたため、証如の代まで歴代宗主は青蓮院で得度するのが慣例となっていた。(浄土真宗辞典)

参照WEB版浄土宗大辞典の「青蓮院」の項目