「経」の版間の差分
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われいま、いまだ智火の分あらざるがゆゑに、煩悩の氷を解きて功徳の水となすことあたはず。 | われいま、いまだ智火の分あらざるがゆゑに、煩悩の氷を解きて功徳の水となすことあたはず。 | ||
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2005年10月22日 (土) 22:59時点における版
きょう
経名不明。『往生要集』の文(注釈版聖典七祖篇1018頁3行)によるものか。(行巻 P.197)
きょう
梵語スートラ(sūtra)の漢訳。修多羅しゅたらと音写する。たて糸の意で、転じて糸によって貫いて保持しているものを意味し、古代インドでは、宗教あるいは学問の綱要をまとめた文章を指した。仏教もこれにならって、仏や聖者の教えを文章にまとめたものを「経」というようになった。中国では、時代によって変わることのない聖者の教えを指して「四書五経」といったことから、仏教でも経は常の意味で常住不変の真理を説いた聖典のことともいわれる。律・論とともに三蔵の一とされる。→三蔵
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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注釈版聖典七祖篇1018頁3行
われいま、いまだ智火の分あらざるがゆゑに、煩悩の氷を解きて功徳の水となすことあたはず。