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しんふぐそく 信不具足
 
しんふぐそく 信不具足
  
完全な信心ではないこと。ただ教法を聞くのみでそのいわれを十分に知らずに信じていること、たださとりへの道があることを信じてさとりを得た人がいると信じていないことをいう。『涅槃経』に説かれ、親鸞はこれを「信巻」([[信巻本#P--237|信巻 P.237]])、「化身土巻」([[化巻本#P--407|化巻 P.407]])
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完全な信心ではないこと。ただ教法を聞くのみでその[[いわれ]]を十分に知らずに信じていること、たださとりへの道があることを信じてさとりを得た人がいると信じていないことをいう。『涅槃経』に説かれ、親鸞はこれを「信巻」([[信巻本#P--237|信巻 P.237]])、「化身土巻」([[化巻本#P--407|化巻 P.407]])
 
に引用している。
 
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いっせんだい 一闡提。
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いっせんだい 一闡提。(浄土真宗辞典)
 
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「総序」には「聞思莫遅慮(聞思して遅慮することなかれ)」とある。→[[聞思して遅慮することなかれ]]
 
「総序」には「聞思莫遅慮(聞思して遅慮することなかれ)」とある。→[[聞思して遅慮することなかれ]]
  
 
;「信巻」の引文。
 
;「信巻」の引文。
:信にまた二種あり。一つには聞より生ず、二つには思より生ず。この人の信心、聞よりして生じて、思より生ぜず。このゆゑに名づけて信不具足とす。また二種あり。一つには道ありと信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道ありと信じて、すべて得道の人ありと信ぜざらん。これを名づけて信不具足とす
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:信にまた二種あり。一つには聞より生ず、二つには思より生ず。この人の信心、聞よりして生じて、思より生ぜず。このゆゑに名づけて信不具足とす。また二種あり。一つには道ありと信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道ありと信じて、すべて得道の人ありと信ぜざらん。これを名づけて信不具足とす。([[信巻本#P--237|信巻 P.237]])
  
 
;「化巻」の引文。
 
;「化巻」の引文。
 
:善男子、信に二種あり。一つには信、二つには求なり。かくのごときの人、また信ありといへども、推求にあたはざる、このゆゑに名づけて信不具足とす。信にまた二種あり。一つには聞より生ず、二つには思より生ず。この人の信心、聞よりして生じて思より生ぜざる、このゆゑに名づけて信不具足とす。また二種あり。一つには道あることを信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道あることを信じて、すべて得道の人あることを信ぜず、これを名づけて信不具足とす。また二種あり。一つには信正、二つには信邪なり。因果あり、仏法僧ありといはん、これを信正と名づく。
 
:善男子、信に二種あり。一つには信、二つには求なり。かくのごときの人、また信ありといへども、推求にあたはざる、このゆゑに名づけて信不具足とす。信にまた二種あり。一つには聞より生ず、二つには思より生ず。この人の信心、聞よりして生じて思より生ぜざる、このゆゑに名づけて信不具足とす。また二種あり。一つには道あることを信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道あることを信じて、すべて得道の人あることを信ぜず、これを名づけて信不具足とす。また二種あり。一つには信正、二つには信邪なり。因果あり、仏法僧ありといはん、これを信正と名づく。
:因果なく、三宝の性異なりと言ひて、もろもろの邪語、富蘭那等を信ずる、これを信邪と名づく。この人、仏法僧宝を信ずといへども、三宝同一の性相を信ぜず。因果を信ずといへども得者を信ぜず。このゆゑに名づけて信不具足とす。この人、不具足信を成就すと。
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:因果なく、三宝の性異なりと言ひて、もろもろの邪語、富蘭那等を信ずる、これを信邪と名づく。この人、仏法僧宝を信ずといへども、三宝同一の性相を信ぜず。因果を信ずといへども得者を信ぜず。このゆゑに名づけて信不具足とす。この人、不具足信を成就すと。([[化巻本#P--407|化巻 P.407]])
  
 
:→[[聞思して遅慮することなかれ]]
 
:→[[聞思して遅慮することなかれ]]
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:→[[いわれ]]
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:→[[仏願の生起本末]]
  
 
[[Category:追記]]
 
[[Category:追記]]

2018年4月11日 (水) 15:17時点における版

しんふぐそく

  完全な信心ではないこと。不如実の信心のこと。(信巻 P.237)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

しんふぐそく 信不具足

Ⅰ 完全な信心ではないこと。ただ教法を聞くのみでそのいわれを十分に知らずに信じていること、たださとりへの道があることを信じてさとりを得た人がいると信じていないことをいう。『涅槃経』に説かれ、親鸞はこれを「信巻」(信巻 P.237)、「化身土巻」(化巻 P.407) に引用している。

Ⅱ いっせんだい 一闡提。(浄土真宗辞典)

「総序」には「聞思莫遅慮(聞思して遅慮することなかれ)」とある。→聞思して遅慮することなかれ

「信巻」の引文。
信にまた二種あり。一つには聞より生ず、二つには思より生ず。この人の信心、聞よりして生じて、思より生ぜず。このゆゑに名づけて信不具足とす。また二種あり。一つには道ありと信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道ありと信じて、すべて得道の人ありと信ぜざらん。これを名づけて信不具足とす。(信巻 P.237)
「化巻」の引文。
善男子、信に二種あり。一つには信、二つには求なり。かくのごときの人、また信ありといへども、推求にあたはざる、このゆゑに名づけて信不具足とす。信にまた二種あり。一つには聞より生ず、二つには思より生ず。この人の信心、聞よりして生じて思より生ぜざる、このゆゑに名づけて信不具足とす。また二種あり。一つには道あることを信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道あることを信じて、すべて得道の人あることを信ぜず、これを名づけて信不具足とす。また二種あり。一つには信正、二つには信邪なり。因果あり、仏法僧ありといはん、これを信正と名づく。
因果なく、三宝の性異なりと言ひて、もろもろの邪語、富蘭那等を信ずる、これを信邪と名づく。この人、仏法僧宝を信ずといへども、三宝同一の性相を信ぜず。因果を信ずといへども得者を信ぜず。このゆゑに名づけて信不具足とす。この人、不具足信を成就すと。(化巻 P.407)
聞思して遅慮することなかれ
いわれ
仏願の生起本末