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 本願とは、梵語プールヴァ・プラニダーナ (pūrva-praṇidhāna) の漢訳で、「以前の誓願」という意、すなわち、阿弥陀仏が正覚をひらく以前、因位の法蔵菩薩であったときにたてた誓願のことをいう。もっとも、諸経典では阿弥陀仏以外の諸仏菩薩についてもその本願が語られるが、浄土教では阿弥陀仏の誓いの意に限定されるといってよい。『大教』によると、久遠の昔、世自在王仏のもとで一人の国王が出家して法蔵と名のり、師仏より二百一十億の諸仏の国土の善悪粗妙を聴いて、五劫の間思惟し、四十八からなる大悲の本願を建立したという。浄土教では、この本願を一切衆生の救いの根源とし、これに随順すべきことが力説唱導されるのである。
 
 本願とは、梵語プールヴァ・プラニダーナ (pūrva-praṇidhāna) の漢訳で、「以前の誓願」という意、すなわち、阿弥陀仏が正覚をひらく以前、因位の法蔵菩薩であったときにたてた誓願のことをいう。もっとも、諸経典では阿弥陀仏以外の諸仏菩薩についてもその本願が語られるが、浄土教では阿弥陀仏の誓いの意に限定されるといってよい。『大教』によると、久遠の昔、世自在王仏のもとで一人の国王が出家して法蔵と名のり、師仏より二百一十億の諸仏の国土の善悪粗妙を聴いて、五劫の間思惟し、四十八からなる大悲の本願を建立したという。浄土教では、この本願を一切衆生の救いの根源とし、これに随順すべきことが力説唱導されるのである。
  
 曇鸞大師は『論註』に 「安楽はこれ菩薩の慈悲・正観の由生、如来の神力本願の所建なり」() といい、「この三種の荘厳成就は、本四十八願等の清浄願心の荘厳したまへるところなるによりて、因浄なるがゆゑに果浄なり」() と述べて、四十八願を浄土荘厳の成立する因と位置づけている。またこの本願によって成就された力用 (本願力・他力) が願生者のうえにはたらくことを指摘して、「おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行とは、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑなり」() といい、浄土往生も往生後におこす諸行もすべてみな本願力によるものであると明かしている。その本願力をまさしく証明するものとしてあげられるのが、第十八・第十一・第二十二の三願である (三願的証)。すなわち、第十八願力によって往生の因であるところの十念念仏が成就せしめられ、往生すれば第十一願力によって必ず滅度に至ることのできる正定聚に住せしめられ、さらにこの正定聚の菩薩は第二十二願力によって諸地の階位を超越して一生補処に至らしめられる。こうして第十八・第十一・第二十二願力を増上縁とするがゆえに、願生行者は速やかに無上菩提 (仏果) を成就することができると証し、四十八の本願が衆生往生の因果からいえば、この三願に結帰するものであることを明らかにされたのである。
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 曇鸞大師は『論註』に 「安楽はこれ菩薩の慈悲・正観の由生、如来の神力本願の所建なり」([[浄土論註 (七祖)#P--58|上 五八]]) といい、「この三種の荘厳成就は、本四十八願等の清浄願心の荘厳したまへるところなるによりて、因浄なるがゆゑに果浄なり」([[浄土論註 (七祖)#P--139|下 一三九]]) と述べて、四十八願を浄土荘厳の成立する因と位置づけている。またこの本願によって成就された[[力用]] (本願力・他力) が願生者のうえにはたらくことを指摘して、「おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行とは、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑなり」([[浄土論註 (七祖)#P--155|下 一五五]]) といい、浄土往生も往生後におこす諸行もすべてみな本願力によるものであると明かしている。その本願力をまさしく証明するものとしてあげられるのが、第十八・第十一・第二十二の三願である ([[三願的証]])。すなわち、第十八願力によって往生の因であるところの十念念仏が成就せしめられ、往生すれば第十一願力によって必ず滅度に至ることのできる正定聚に住せしめられ、さらにこの正定聚の菩薩は第二十二願力によって諸地の階位を超越して[[一生補処]]に至らしめられる。こうして第十八・第十一・第二十二願力を増上縁とするがゆえに、願生行者は速やかに無上菩提 (仏果) を成就することができると証し、四十八の本願が衆生往生の因果からいえば、この三願に結帰するものであることを明らかにされたのである。
  
 道綽禅師は『安楽集』()、聖浄二門の釈において、末法の今時には浄土の一門のみが通入すべき道であることを指摘し、その浄土門のよりどころを本願のうえにたずねて、「このゆゑに大経にのたまはく、〈もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは正覚を取らじ〉と。(中略) たとひ一形悪を造れども、ただよく意を繋けて専精につねによく念仏すれば、一切の諸障自然に消除して、さだめて往生を得」と述べている。ここに示された願文は 『観経』下下品の 「十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ」という文と会合してあらわされた第十八願取意の文である。道綽禅師は末法の衆生の救いの道をこの第十八願のこころのうえに見出し、称名一行による往生を誓った、この願が四十八願全体のかなめとなるものであることを明らかにされたのである。
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 道綽禅師は『安楽集』([[安楽集 (七祖)#P--242|上 二四二]])、聖浄二門の釈において、末法の今時には浄土の一門のみが通入すべき道であることを指摘し、その浄土門のよりどころを本願のうえにたずねて、「このゆゑに大経にのたまはく、〈もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは正覚を取らじ〉と。(中略) たとひ一形悪を造れども、ただよく意を繋けて専精につねによく念仏すれば、一切の諸障自然に消除して、さだめて往生を得」と述べている。ここに示された願文は 『観経』下下品の 「十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ」という文と会合してあらわされた第十八願取意の文である。道綽禅師は末法の衆生の救いの道をこの第十八願のこころのうえに見出し、称名一行による往生を誓った、この願が四十八願全体のかなめとなるものであることを明らかにされたのである。
  
 善導大師は 「玄義分」に第十八願の意を示して、「法蔵比丘、世饒王仏の所にましまして菩薩の道を行じたまひし時、四十八願を発したまへり。一々の願にのたまはく、〈もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉と。いますでに成仏したまへり。すなはちこれ酬因の身なり」と述べている。この説示で注目されるのは、四十八願の一つ一つが第十八願の意をあらわすものとされているということである。この見方によれば、四十八願はすべて第十八願に結帰するものとなり、四十八願の内容はその全体が念仏往生という衆生往生の因果を誓った願ということになる。しかもそれだけでなく、右の文言が元来、阿弥陀仏とその浄土の報身報土を論証するためのものであったことを考えると、仏身仏土の成就も第十八願のうえで語っているということになる。要するに、四十八願を第十八願ひとつにおさまるものとし、衆生往生の因果も、仏身仏土の成就もすべてこの第十八願のうえで語っていくというのが、これまでの浄土教に例をみない善導大師の特異な本願観であったのである。
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 善導大師は 「[[観経疏 玄義分 (七祖)#P--326|玄義分 三二六]]」に第十八願の意を示して、「法蔵比丘、世饒王仏の所にましまして菩薩の道を行じたまひし時、四十八願を発したまへり。一々の願にのたまはく、〈もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉と。いますでに成仏したまへり。すなはちこれ酬因の身なり」と述べている。この説示で注目されるのは、四十八願の一つ一つが第十八願の意をあらわすものとされているということである。この見方によれば、四十八願はすべて第十八願に結帰するものとなり、四十八願の内容はその全体が念仏往生という衆生往生の因果を誓った願ということになる。しかもそれだけでなく、右の文言が元来、阿弥陀仏とその浄土の報身報土を論証するためのものであったことを考えると、仏身仏土の成就も第十八願のうえで語っているということになる。要するに、四十八願を第十八願ひとつにおさまるものとし、衆生往生の因果も、仏身仏土の成就もすべてこの第十八願のうえで語っていくというのが、これまでの浄土教に例をみない善導大師の特異な本願観であったのである。
  
 源信和尚は『往生要集』() 第三極楽証拠門に、十方浄土に対して 「阿弥陀仏、別に大悲の始終鉢願ましまして、衆生を接引したまふ」と ¬十疑論¼ によって四十八願を示して西方極楽を勧め、兜率往生に対しても、往生の難易に八異をあげるなかの第一に 「弥陀には引接の願あり。弥勒には願なし」と本願の有無を指摘して、西方往生を本願によりながら勧めている。また同書 () 第八念仏証拠門では、第十八願を 「四十八願のなかに、念仏門において別に一の願を発してのたまはく、〈乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ〉」と示し、続いて 「観経に、極重の悪人は他の方便なし。ただ仏を称念して極楽に生ずることを得」と述べて、四十八願のなかでも、称名念仏を往生行として誓った第十八願を特別な願として重視している。
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 源信和尚は『往生要集』([[往生要集上巻 (七祖)#P--890|上 八九〇]]) 第三極楽証拠門に、十方浄土に対して 「阿弥陀仏、別に大悲の始終四十八願ましまして、衆生を接引したまふ」と『十疑論』によって四十八願を示して西方極楽を勧め、兜率往生に対しても、往生の難易に八異をあげるなかの第一に 「弥陀には引接の願あり。弥勒には願なし」と本願の有無を指摘して、西方往生を本願によりながら勧めている。また同書 ([[往生要集下巻 (七祖)#P--1098|下 一〇九八]]) 第八念仏証拠門では、第十八願を 「四十八願のなかに、念仏門において別に一の願を発してのたまはく、〈乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ〉」と示し、続いて 「観経に、極重の悪人は他の方便なし。ただ仏を称念して極楽に生ずることを得」と述べて、四十八願のなかでも、称名念仏を往生行として誓った第十八願を特別な願として重視している。
  
 
 法然上人は善導大師の本願観を継承して、これをさらに一歩進め、阿弥陀仏が第十八願において、念仏以外の一切の行業を選び捨て、念仏の一行のみを往生行として選び取られたという選択本願念仏の論をうちたてていかれた。選択集 「本願章」には、「弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんがために、造像起塔等の諸行をもって往生の本願としたまはず。ただ称名念仏の一行をもってその往生の本願となしたまへり」とあり、その念仏選択の願心が平等の慈悲にほかならないことを明らかにしている。すなわち、一切衆生を平等に救おうとする大悲心にもとづいて、いかなる機もひとしく受行しうる称名念仏の一行が第十八願において選択されたと明かされるのである。法然上人はこのように念仏往生を誓った第十八願を平等の慈悲のまさしき具現とうけとめ、これを 「本願中の王」(同・特留章) と讃嘆されたのである。
 
 法然上人は善導大師の本願観を継承して、これをさらに一歩進め、阿弥陀仏が第十八願において、念仏以外の一切の行業を選び捨て、念仏の一行のみを往生行として選び取られたという選択本願念仏の論をうちたてていかれた。選択集 「本願章」には、「弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんがために、造像起塔等の諸行をもって往生の本願としたまはず。ただ称名念仏の一行をもってその往生の本願となしたまへり」とあり、その念仏選択の願心が平等の慈悲にほかならないことを明らかにしている。すなわち、一切衆生を平等に救おうとする大悲心にもとづいて、いかなる機もひとしく受行しうる称名念仏の一行が第十八願において選択されたと明かされるのである。法然上人はこのように念仏往生を誓った第十八願を平等の慈悲のまさしき具現とうけとめ、これを 「本願中の王」(同・特留章) と讃嘆されたのである。
  
 
 親鸞聖人はこうした法然上人の教説をうけて、第十八願を如来の回向による救いを誓ったものとあらわし、その内容を、第十一・十二・十三・十七・十八の五願に開いて、真実の教・行 (以上十七願)・信 (十八願)・証 (十一願)・真仏真土 (十二、十三願) の五願六法 (第二十二願の還相回向を加えると六願七法) とされた。これによって、浄土真宗の法門が総じていえば第十八願、開いていえば真実五願 (六願) によって成就されたものであることを明らかにされたのである。
 
 親鸞聖人はこうした法然上人の教説をうけて、第十八願を如来の回向による救いを誓ったものとあらわし、その内容を、第十一・十二・十三・十七・十八の五願に開いて、真実の教・行 (以上十七願)・信 (十八願)・証 (十一願)・真仏真土 (十二、十三願) の五願六法 (第二十二願の還相回向を加えると六願七法) とされた。これによって、浄土真宗の法門が総じていえば第十八願、開いていえば真実五願 (六願) によって成就されたものであることを明らかにされたのである。

2018年2月15日 (木) 16:02時点における版

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七祖聖教 補 注

七祖-補註1 阿弥陀仏
七祖-補註2 往生・浄土
七祖-補註3 機・衆生
七祖-補註4 教
七祖-補註5 行
七祖-補註6 業・宿業
七祖-補註7 信
七祖-補註8 旃陀羅
七祖-補註9 他力
七祖-補註10 女人・根欠…
七祖-補註11 菩薩
七祖-補註12 本願
→注釈版 補注へ

12 本願

 本願とは、梵語プールヴァ・プラニダーナ (pūrva-praṇidhāna) の漢訳で、「以前の誓願」という意、すなわち、阿弥陀仏が正覚をひらく以前、因位の法蔵菩薩であったときにたてた誓願のことをいう。もっとも、諸経典では阿弥陀仏以外の諸仏菩薩についてもその本願が語られるが、浄土教では阿弥陀仏の誓いの意に限定されるといってよい。『大教』によると、久遠の昔、世自在王仏のもとで一人の国王が出家して法蔵と名のり、師仏より二百一十億の諸仏の国土の善悪粗妙を聴いて、五劫の間思惟し、四十八からなる大悲の本願を建立したという。浄土教では、この本願を一切衆生の救いの根源とし、これに随順すべきことが力説唱導されるのである。

 曇鸞大師は『論註』に 「安楽はこれ菩薩の慈悲・正観の由生、如来の神力本願の所建なり」(上 五八) といい、「この三種の荘厳成就は、本四十八願等の清浄願心の荘厳したまへるところなるによりて、因浄なるがゆゑに果浄なり」(下 一三九) と述べて、四十八願を浄土荘厳の成立する因と位置づけている。またこの本願によって成就された力用 (本願力・他力) が願生者のうえにはたらくことを指摘して、「おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行とは、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑなり」(下 一五五) といい、浄土往生も往生後におこす諸行もすべてみな本願力によるものであると明かしている。その本願力をまさしく証明するものとしてあげられるのが、第十八・第十一・第二十二の三願である (三願的証)。すなわち、第十八願力によって往生の因であるところの十念念仏が成就せしめられ、往生すれば第十一願力によって必ず滅度に至ることのできる正定聚に住せしめられ、さらにこの正定聚の菩薩は第二十二願力によって諸地の階位を超越して一生補処に至らしめられる。こうして第十八・第十一・第二十二願力を増上縁とするがゆえに、願生行者は速やかに無上菩提 (仏果) を成就することができると証し、四十八の本願が衆生往生の因果からいえば、この三願に結帰するものであることを明らかにされたのである。

 道綽禅師は『安楽集』(上 二四二)、聖浄二門の釈において、末法の今時には浄土の一門のみが通入すべき道であることを指摘し、その浄土門のよりどころを本願のうえにたずねて、「このゆゑに大経にのたまはく、〈もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは正覚を取らじ〉と。(中略) たとひ一形悪を造れども、ただよく意を繋けて専精につねによく念仏すれば、一切の諸障自然に消除して、さだめて往生を得」と述べている。ここに示された願文は 『観経』下下品の 「十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ」という文と会合してあらわされた第十八願取意の文である。道綽禅師は末法の衆生の救いの道をこの第十八願のこころのうえに見出し、称名一行による往生を誓った、この願が四十八願全体のかなめとなるものであることを明らかにされたのである。

 善導大師は 「玄義分 三二六」に第十八願の意を示して、「法蔵比丘、世饒王仏の所にましまして菩薩の道を行じたまひし時、四十八願を発したまへり。一々の願にのたまはく、〈もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉と。いますでに成仏したまへり。すなはちこれ酬因の身なり」と述べている。この説示で注目されるのは、四十八願の一つ一つが第十八願の意をあらわすものとされているということである。この見方によれば、四十八願はすべて第十八願に結帰するものとなり、四十八願の内容はその全体が念仏往生という衆生往生の因果を誓った願ということになる。しかもそれだけでなく、右の文言が元来、阿弥陀仏とその浄土の報身報土を論証するためのものであったことを考えると、仏身仏土の成就も第十八願のうえで語っているということになる。要するに、四十八願を第十八願ひとつにおさまるものとし、衆生往生の因果も、仏身仏土の成就もすべてこの第十八願のうえで語っていくというのが、これまでの浄土教に例をみない善導大師の特異な本願観であったのである。

 源信和尚は『往生要集』(上 八九〇) 第三極楽証拠門に、十方浄土に対して 「阿弥陀仏、別に大悲の始終四十八願ましまして、衆生を接引したまふ」と『十疑論』によって四十八願を示して西方極楽を勧め、兜率往生に対しても、往生の難易に八異をあげるなかの第一に 「弥陀には引接の願あり。弥勒には願なし」と本願の有無を指摘して、西方往生を本願によりながら勧めている。また同書 (下 一〇九八) 第八念仏証拠門では、第十八願を 「四十八願のなかに、念仏門において別に一の願を発してのたまはく、〈乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ〉」と示し、続いて 「観経に、極重の悪人は他の方便なし。ただ仏を称念して極楽に生ずることを得」と述べて、四十八願のなかでも、称名念仏を往生行として誓った第十八願を特別な願として重視している。

 法然上人は善導大師の本願観を継承して、これをさらに一歩進め、阿弥陀仏が第十八願において、念仏以外の一切の行業を選び捨て、念仏の一行のみを往生行として選び取られたという選択本願念仏の論をうちたてていかれた。選択集 「本願章」には、「弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんがために、造像起塔等の諸行をもって往生の本願としたまはず。ただ称名念仏の一行をもってその往生の本願となしたまへり」とあり、その念仏選択の願心が平等の慈悲にほかならないことを明らかにしている。すなわち、一切衆生を平等に救おうとする大悲心にもとづいて、いかなる機もひとしく受行しうる称名念仏の一行が第十八願において選択されたと明かされるのである。法然上人はこのように念仏往生を誓った第十八願を平等の慈悲のまさしき具現とうけとめ、これを 「本願中の王」(同・特留章) と讃嘆されたのである。

 親鸞聖人はこうした法然上人の教説をうけて、第十八願を如来の回向による救いを誓ったものとあらわし、その内容を、第十一・十二・十三・十七・十八の五願に開いて、真実の教・行 (以上十七願)・信 (十八願)・証 (十一願)・真仏真土 (十二、十三願) の五願六法 (第二十二願の還相回向を加えると六願七法) とされた。これによって、浄土真宗の法門が総じていえば第十八願、開いていえば真実五願 (六願) によって成就されたものであることを明らかにされたのである。