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「法相宗」の版間の差分

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ほっそうしゅう
 
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  中国十三宗の一。唯識(ゆいしき)宗・慈恩(じおん)宗ともいう。玄奘(げんじょう)がインドの戒賢(かいけん)から伝えた護法系の唯識学説をうけて、その弟子慈恩大師窺基(きき)が法相宗として大成した。</br>
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 中国十三宗の一。宗・<kana>慈恩(じおん)</kana>宗ともいう。<kana>玄奘(げんじょう)</kana>がインドの<kana>戒賢(かいけん)</kana>から伝えた護法系の唯識学説をうけて、その弟子慈恩大師<kana>窺基(きき)</kana>が法相宗として大成した。<br>
  『解深密経(げじんみっきょう)』『成唯識論(じょうゆいしきろん)』『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』を所依とし、一切の諸法は識の所変にほかならないことを説く。</br>
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 『<kana>解深密経(げじんみっきょう)</kana>』『<kana>成唯識論(じょうゆいしきろん)</kana>』『<kana>瑜伽師地論(ゆがしじろん)</kana>』を所依とし、一切の諸法は識の所変にほかならないことを説く。<br>
  釈尊一代の教に有・空・中の三時教判を立て、衆生の機類を声聞(しょうもん)定姓(じょうしょう)・縁覚(えんがく)定姓(声聞・縁覚の二乗の果を得ると定まっているもの)・菩薩定姓(仏果を得ると定まっているもの)・不定姓(いずれの果を得るとも定まっていないもの)・無姓(仏果も二乗の果も得ることができないと定まっているもの)の五に分ける五姓各別(ごしょうかくべつ)を説く。</br>
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  釈尊一代の教に有・空・中の三時教判を立て、衆生の機類を<kana>声聞(しょうもん)</kana><kana>定姓(じょうしょう)</kana>・<kana>縁覚(えんがく)</kana>定姓(声聞・縁覚の二乗の果を得ると定まっているもの)・菩薩定姓(仏果を得ると定まっているもの)・不定姓(いずれの果を得るとも定まっていないもの)・無姓(仏果も二乗の果も得ることができないと定まっているもの)の五に分ける<kana>五姓各別(ごしょうかくべつ)</kana>を説く。<br>
  日本には、道昭が白雉(はくち)四年(653)入唐し、玄奘に教えを受け斉明(さいめい)七年(661)に帰国し伝えたのが最初で、以来四度にわたって伝来し南都六宗の一に数えられる。
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  日本には、道昭が<kana>白雉(はくち)</kana>四年(653)入唐し、玄奘に教えを受け<kana>斉明(さいめい)</kana>七年(661)に帰国し伝えたのが最初で、以来四度にわたって伝来し南都六宗の一に数えられる。
  
  → [[慈恩|慈恩(じおん)]]
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2017年11月8日 (水) 19:01時点における最新版

ほっそうしゅう

 中国十三宗の一。宗・慈恩(じおん)宗ともいう。玄奘(げんじょう)がインドの戒賢(かいけん)から伝えた護法系の唯識学説をうけて、その弟子慈恩大師窺基(きき)が法相宗として大成した。
 『解深密経(げじんみっきょう)』『成唯識論(じょうゆいしきろん)』『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』を所依とし、一切の諸法は識の所変にほかならないことを説く。
  釈尊一代の教に有・空・中の三時教判を立て、衆生の機類を声聞(しょうもん)定姓(じょうしょう)縁覚(えんがく)定姓(声聞・縁覚の二乗の果を得ると定まっているもの)・菩薩定姓(仏果を得ると定まっているもの)・不定姓(いずれの果を得るとも定まっていないもの)・無姓(仏果も二乗の果も得ることができないと定まっているもの)の五に分ける五姓各別(ごしょうかくべつ)を説く。
  日本には、道昭が白雉(はくち)四年(653)入唐し、玄奘に教えを受け斉明(さいめい)七年(661)に帰国し伝えたのが最初で、以来四度にわたって伝来し南都六宗の一に数えられる。

  → 慈恩(じおん)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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