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「念仏往生の願」の版間の差分

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法然聖人は、
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:善導独り総じて念仏往生の願といへり。諸師の別して十念往生の願といふは、その意すなはちあまねからず。しかる所以は、上一形を捨て、下一念を捨つるゆゑなり。
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:善導の総じて念仏往生の願といふは、その意すなはちあまねし。しかる所以は、上一形を取り、下一念を取るゆゑなり。([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1214|選択本願念仏集 P.1214]])
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と、乃至十念の語に固執させないために善導大師は「念仏往生の願」とされたとした。もっとも善導大師には「念仏往生の願」という語はなく、法然聖人の命名である。

2017年10月29日 (日) 13:12時点における版

ねんぶつおうじょうのがん

 第十八願。(正像 P.605)

 →選択本願  (選択本願念仏集 P.1206)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

法然聖人は、

善導独り総じて念仏往生の願といへり。諸師の別して十念往生の願といふは、その意すなはちあまねからず。しかる所以は、上一形を捨て、下一念を捨つるゆゑなり。
善導の総じて念仏往生の願といふは、その意すなはちあまねし。しかる所以は、上一形を取り、下一念を取るゆゑなり。(選択本願念仏集 P.1214)

と、乃至十念の語に固執させないために善導大師は「念仏往生の願」とされたとした。もっとも善導大師には「念仏往生の願」という語はなく、法然聖人の命名である。