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 (1177-1247)法然上人の門弟、<kana>証空(しょうくう)</kana>のこと。浄土宗西山派の派祖。十四歳で出家し法然上人の門に入った。「<kana>七箇条制誡(しちかじょうせいかい)</kana>」の四番目に署名するなど法然上人門下の重要な地位にあった。承元の弾圧(1207)・<kana>嘉禄(かろく)</kana>の弾圧(1227)に連座したが、とりなしがあり免れた。建保元年(1213)から西山善峰寺の往生院(三鈷寺)に住したので、その門流を西山義と呼ぶ。
 
 (1177-1247)法然上人の門弟、<kana>証空(しょうくう)</kana>のこと。浄土宗西山派の派祖。十四歳で出家し法然上人の門に入った。「<kana>七箇条制誡(しちかじょうせいかい)</kana>」の四番目に署名するなど法然上人門下の重要な地位にあった。承元の弾圧(1207)・<kana>嘉禄(かろく)</kana>の弾圧(1227)に連座したが、とりなしがあり免れた。建保元年(1213)から西山善峰寺の往生院(三鈷寺)に住したので、その門流を西山義と呼ぶ。
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外部リンク
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→[[JWP:証空|証空]]

2017年10月23日 (月) 18:07時点における版

ぜんえぼう

 (1177-1247)法然上人の門弟、証空(しょうくう)のこと。浄土宗西山派の派祖。十四歳で出家し法然上人の門に入った。「七箇条制誡(しちかじょうせいかい)」の四番目に署名するなど法然上人門下の重要な地位にあった。承元の弾圧(1207)・嘉禄(かろく)の弾圧(1227)に連座したが、とりなしがあり免れた。建保元年(1213)から西山善峰寺の往生院(三鈷寺)に住したので、その門流を西山義と呼ぶ。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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