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「仏願の生起本末」の版間の差分

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阿弥陀仏の[[名号]]の[[いわれ]]。仏願の生起とは、阿弥陀仏が本願を起こした理由、すなわち自らの力では決して迷いの世界より出ることのできない衆生を救うために、本願が起こされたことをいう。<br />
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仏願の本末とは、仏願の因果をいう意で、[[法蔵菩薩]]の発願修行を本(因)といい、その願行が満足しさとりを成就し、[[名号]]となって十方衆生を[[済度]]しつつあることを末(果)という。→[[聞即信]]。(浄土真宗辞典)
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「しかるに『経』に聞といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。」
 
「しかるに『経』に聞といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。」
  
 
『経』に聞といふは→「聞其名号信心歓喜乃至一念」 [[仏説 無量寿経_(巻下)#P--41]]
 
『経』に聞といふは→「聞其名号信心歓喜乃至一念」 [[仏説 無量寿経_(巻下)#P--41]]
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2017年10月9日 (月) 17:10時点における版

 ぶつがんのしょうきほんまつ

 仏が衆生救済の願をおこされた由来と、その願を成就して現に我々を救済しつつあること。(信巻 P.251)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

阿弥陀仏の名号いわれ。仏願の生起とは、阿弥陀仏が本願を起こした理由、すなわち自らの力では決して迷いの世界より出ることのできない衆生を救うために、本願が起こされたことをいう。
仏願の本末とは、仏願の因果をいう意で、法蔵菩薩の発願修行を本(因)といい、その願行が満足しさとりを成就し、名号となって十方衆生を済度しつつあることを末(果)という。→聞即信。(浄土真宗辞典)

「しかるに『経』に聞といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。」

『経』に聞といふは→「聞其名号信心歓喜乃至一念」 仏説 無量寿経_(巻下)#P--41