「不可思議光」の版間の差分
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− | [[阿弥陀仏]] | + | [[阿弥陀仏]]の徳号の一で、人間の思い、はからいを超えた仏のさとりの絶対の徳をあらわしている。<kana>光明(こうみょう)</kana>は仏の<kana>智慧(ちえ)</kana>をあらわす。 |
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2017年4月30日 (日) 15:07時点における最新版
ふかしぎこう
阿弥陀仏の徳号の一で、人間の思い、はからいを超えた仏のさとりの絶対の徳をあらわしている。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
智慧を闇を照らす光で表すのは面白いと思う。光に出遇った時に光に照らされる自らの闇を見つめる力に気付くのだろう。以光明名号摂化十方 但使信心求念。
なお、「正信念仏偈」の南無不可思議光の句は『讃阿弥陀仏偈』の、
- 南無不可思議光 一心帰命稽首礼。
- 不可思議光に南無し、一心に帰命し稽首して礼したてまつる。(讃弥陀偈 P.177)
からである。