「別時意」の版間の差分
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復有四種意趣四種祕密。<br> | 復有四種意趣四種祕密。<br> | ||
一切佛言應隨決了。四意趣者。<br> | 一切佛言應隨決了。四意趣者。<br> | ||
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二別時意趣。謂如說言。若誦多寶如來名者。便於無上正等菩提已得決定。又如說言。由唯發願便得往生極樂世界。<br> | 二別時意趣。謂如說言。若誦多寶如來名者。便於無上正等菩提已得決定。又如說言。由唯發願便得往生極樂世界。<br> | ||
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四補特伽羅意樂意趣。謂如為一補特伽羅先讚布施後還毀訾。如於布施如是尸羅及一分修當知亦爾。如是名為四種意趣。 | 四補特伽羅意樂意趣。謂如為一補特伽羅先讚布施後還毀訾。如於布施如是尸羅及一分修當知亦爾。如是名為四種意趣。 | ||
− | + | <ref>復た四種の意趣、四種の祕密あり。<br> | |
+ | 一切の佛言なり、應(よろしき)に隨って決了すべし。四意趣とは、<br> | ||
+ | 一には、平等意趣。謂く說いて言ふがごとし。我れ昔、曾って彼の時、彼の分に於いて即ち勝觀正等覺者と名づくと。<br> | ||
+ | 二には、別時意趣。謂く說いて言ふがごとし。若し多寶如來の名を誦する者は、便ち無上正等菩提に於いて已に決定することを得たりと。又說いて言ふがごとし、唯だ發願するのみに由って、便ち極樂世界に往生することを得と。<br> | ||
+ | 三には別義意趣、謂く說いて言ふがごとし。若し已に爾所(そこばく)の殑伽河沙等の佛に逢事せば、大乘の法に於いて方に能く義を解せん。<br> | ||
+ | 四には補特伽羅の意樂の意趣。謂く一の補特伽羅の為に先に布施を讚し後に還って毀訾するがごとし、布施に於けるが如く是の如く尸羅及び一分修も當に知るべし亦た爾なりと。是くのごときを名づけて四種意趣と為す。</ref> | ||
− | 『攝大乘論釋 | + | [http://www.archive.org/stream/kokuyakudaizky24tokyuoft#page/n702/mode/2up 『攝大乘論釋 』] 玄奘譯 |
論曰。復有四種意趣四種祕密。一切佛言應隨決了。四意趣者。<br> | 論曰。復有四種意趣四種祕密。一切佛言應隨決了。四意趣者。<br> | ||
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釋曰。戒等亦如是。有人如來爲讃毀於修。此是世間修故可毀呰。若出世間修則無可毀。義意及依異相云何如來心先縁此事。後爲他説故名爲意。<br /> | 釋曰。戒等亦如是。有人如來爲讃毀於修。此是世間修故可毀呰。若出世間修則無可毀。義意及依異相云何如來心先縁此事。後爲他説故名爲意。<br /> | ||
由此因衆生決定。入正定聚故名此因爲依。 | 由此因衆生決定。入正定聚故名此因爲依。 | ||
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2012年9月10日 (月) 23:55時点における版
出拠の『攝大乘論』と『攝大乘論釋 』
『攝大乘論』 玄奘譯]
復有四種意趣四種祕密。
一切佛言應隨決了。四意趣者。
一平等意趣。謂如說言。我昔曾於彼時彼分即名勝觀正等覺者[1]。
二別時意趣。謂如說言。若誦多寶如來名者。便於無上正等菩提已得決定。又如說言。由唯發願便得往生極樂世界。
三別義意趣謂如說言。若已逢事爾所殑伽河沙[2]等佛。於大乘法方能解義。
四補特伽羅意樂意趣。謂如為一補特伽羅先讚布施後還毀訾。如於布施如是尸羅及一分修當知亦爾。如是名為四種意趣。
[3]
『攝大乘論釋 』 玄奘譯
論曰。復有四種意趣四種祕密。一切佛言應隨決了。四意趣者。
一平等意趣。謂如説言 我昔曾於彼時彼分。即名勝觀正等覺者。
二別時意趣。謂如説言若誦多寶如來名者。便於無上正等菩提已得決定。又如説言由唯發願便得往生極樂世界。
三別義意趣。謂如説言若已逢事爾所殑伽河沙等佛。於大乘法方能解義。
四補特伽羅意樂意趣。謂如爲一補特伽羅先讃布施後還毀呰。如於布施。如是尸羅及一分修當知亦爾。如是名爲四種意趣。
四祕密者。一令入祕密。謂聲聞乘中或大乘中。依世俗諦理説有補特伽羅。及有諸法自性差別。二相祕密。謂於是處説諸法相顯三自性三對治祕密。謂於是處説行對治八萬四千四轉變祕密。謂於是處以其別義。諸言諸字即顯別義。如有頌言
- 覺不堅爲堅 善住於顛倒
- 極煩惱所惱 得最上菩提
釋曰。意趣祕密有差別者。謂佛世尊先縁此事後爲他説。是名意趣。由此決定令入聖教。是名祕密。
平等意趣者。謂如有人取相似法説如是言。彼即是我。世尊亦爾。平等法身置在心中。説言我昔曾於彼等。非彼昔時毘鉢尸佛。即是今日釋迦牟尼。依平等義所起意趣作如是説。
別時意趣者。謂此意趣令嬾惰者。由彼彼因於彼彼法精勤修習。彼彼善根皆得増長。此中意趣顯誦多寶如來名因。是昇進因。非唯誦名。便於無上正等菩提已得決定。如有説言由一金錢得千金錢。豈於一日意在別時。由一金錢是得千因故作此説。此亦如是。由唯發願便得往生極樂世界。當知亦爾。
別義意趣中。於大乘法方能解義者。謂於三種自性義理自證其相。若但解了隨名言義是佛意者。愚夫於此亦應解了。故知此中言解義者。意在證解。要由過去逢事多佛。
補特伽羅意樂意趣者。謂如爲一先讃布施後還毀呰。此中意者。先多慳悋爲讃布施。後樂行施。還復毀呰令修勝行。若無此意。於一施中先讃後毀。則成相違。由有此意讃毀應理。於尸羅等當知亦爾。一分修者。謂世間修。令入祕密者。謂若是處依世俗諦理。説有補特伽羅及一切法自性差別。爲令有情入佛聖教。
是故説名令入祕密。相祕密者。謂於宣説諸法相中説三自性。對治祕密者。謂於是處宣説有情諸行對治。爲欲安立有情煩惱行對治故。轉變祕密者。謂於是處以説餘義。諸言諸字轉顯餘義。於伽他中。覺不堅爲堅者。不堅謂定由不剛強馳散難調故名不堅。即於此中起尊重覺。名覺爲堅。善住於顛倒者。是於顛倒能顛倒中善安住義。於無常等謂是常等。名爲顛倒。於無常等謂無常等。是能顛倒。是於此中善安住義。極煩惱所惱者。精進劬勞名爲煩惱。爲衆生故長時劬勞精進所惱。如有誦言。處生死久惱。但由於大悲。如是等。得最上菩提者。其義易了。
『攝大乘論』 眞諦譯
復次有四意四依。一切仏世尊教応随決了。
一平等意。譬如有説。昔是時中我名毘婆尸 久已成仏。
二別時意。譬如有説。若人誦持多宝仏名。決定於無上菩提不更退堕。復有説言。由唯発願於安楽仏土得往彼受生。
三別義意。譬如有説。事如是等恒伽所有沙数諸仏。於大乗法義得生覚了。
四衆生楽欲意 譬如如来先爲一人讃歎布施後還毀呰。如施戒及余修亦爾。是名四種意。
『攝大乘論釋 』 眞諦譯
顯了意依章第四
論曰。復次有四意四依。一切佛世尊教應隨決了。
釋曰。如來所説正法。不出四意四依。此意及依由三性故可決了。若離三性無別
道理。能決了此法。
論曰。一平等意 釋曰。譬如有人執平等法 爾説彼即是我。世尊亦爾。平等法身安置心中。説如是言。
論曰。譬如有説。昔是時中我名毘婆尸。久已成佛
釋曰。非昔毘婆尸即是今釋迦牟尼。此説中以平等爲意。是名通平等。若説別平等。謂因果恩徳皆同。是名平等意。
論曰。二別時意。
釋曰。若有衆生由懶惰障 不樂勤修行。如來以方便説。由此道理於如來正法中。能勤修行方便説者。
論曰。譬如有説。若人誦持多寶佛名。決定於無上菩提不更退墮
釋曰。是懶惰善根。以誦持多寶佛名。爲進上品功徳。佛意爲顯上品功徳。於淺行中欲令捨懶惰勤修道。不由唯誦佛名。即不退墮決定得無上菩提。
譬如由一金錢營覓得千金錢。非一日得千。由別時得千。如來意亦爾。此一金錢爲千金錢因。誦持佛名亦爾。爲不退墮菩提因。
論曰。復有説言。由唯發願。於安樂佛土得往彼受生。
釋曰。如前應知是名別時意
論曰。三別義意。
釋曰。此言顯自覺了實相。
由三性義道理。若但如聞覺了義。是如來意者。嬰兒凡夫亦能覺了。
是故如來意不如此。如來意云何。
論曰。譬如有説事。如是等恒伽所有沙數。諸佛於大乘法義。得生覺了。
釋曰。此覺了非聞得成。若人已事恒伽沙數佛。方得成就。是名別義意。
論曰。四衆生樂欲意。譬如如來先爲一人讃歎布施。後還毀呰。
釋曰。有衆生如來先爲讃歎布施功徳。後時或爲此人毀1呰布施。
如此意隨人得成。何以故。若人於財物有慳悋心。爲除此心故先爲讃歎布施。若人已欲樂行施。施是下品善根。如來後時更毀呰此施。令渇仰其餘勝行。
若不由此意讃毀則成相違。由如來有別意故。於一施中讃毀而不相違。
論曰。如施戒2及餘修亦爾。是名四種意。
釋曰。戒等亦如是。有人如來爲讃毀於修。此是世間修故可毀呰。若出世間修則無可毀。義意及依異相云何如來心先縁此事。後爲他説故名爲意。
由此因衆生決定。入正定聚故名此因爲依。
- ↑ 眞諦譯に、毘婆尸とあるので過去七仏最初の毘婆尸仏(Vipasyin、びばしぶつ)のこと。
- ↑ 殑伽河沙(がががしゃ)、恒河沙のこと。
- ↑ 復た四種の意趣、四種の祕密あり。
一切の佛言なり、應(よろしき)に隨って決了すべし。四意趣とは、
一には、平等意趣。謂く說いて言ふがごとし。我れ昔、曾って彼の時、彼の分に於いて即ち勝觀正等覺者と名づくと。
二には、別時意趣。謂く說いて言ふがごとし。若し多寶如來の名を誦する者は、便ち無上正等菩提に於いて已に決定することを得たりと。又說いて言ふがごとし、唯だ發願するのみに由って、便ち極樂世界に往生することを得と。
三には別義意趣、謂く說いて言ふがごとし。若し已に爾所(そこばく)の殑伽河沙等の佛に逢事せば、大乘の法に於いて方に能く義を解せん。
四には補特伽羅の意樂の意趣。謂く一の補特伽羅の為に先に布施を讚し後に還って毀訾するがごとし、布施に於けるが如く是の如く尸羅及び一分修も當に知るべし亦た爾なりと。是くのごときを名づけて四種意趣と為す。