「一分…歓喜せん」の版間の差分
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2012年2月22日 (水) 19:16時点における版
いちぶん…歓喜せん
通常は「一分の毛をもつて大海の水の二三渧のごときを分ち取るがごとし。苦のすでに滅するは大海の水のごとし。余のいまだ滅せざるものは二三滴のごときなれば心大いに歓喜す」と読む。「渧」はしずくの意。
親鸞聖人は「信心の行者は煩悩具足の身であって、滅した苦しみは、大海の水の二三滴ほどでしかないが、それでもなお歓喜する」という意に転じ、原文を読み改められた。(行巻 P.147)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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如以一毛 為百分 以一分毛 分取大海水 若二三渧 苦已滅 如大海水余 未滅者 如二三渧心 大歓喜。