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しゅうじ
 
しゅうじ
  
Ⅰ しっかりととりたもつこと。親鸞聖人はこれを阿弥陀仏の名号を信じ称えることと解釈された。([[小経#P--124|小経 P.124]],[[化巻本#P--401|化巻 P.401]]、[[十住毘婆沙論 (七祖)#P--6|十住毘婆沙論 P.6]]、[[十住毘婆沙論 (七祖)#P--13| P.13]])
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Ⅰ しっかりととりたもつこと。親鸞聖人はこれを阿弥陀仏の名号を信じ称えることと解釈された。([[小経#P--124|小経 P.124]],[[化巻本#P--401|化巻 P.401]]、[[十住毘婆沙論 (七祖)#P--6|十住毘婆沙論 P.6]]、[[十住毘婆沙論 (七祖)#P--13| P.13]]、[[往生礼讃 (七祖)#P--711|往生礼讃 P.711]])
  
 
Ⅱ 【左訓】「こころにとりたもつといふ」([[高僧和讃#P--579|高僧 P.579]])
 
Ⅱ 【左訓】「こころにとりたもつといふ」([[高僧和讃#P--579|高僧 P.579]])

2010年11月2日 (火) 18:00時点における版

しゅうじ

Ⅰ しっかりととりたもつこと。親鸞聖人はこれを阿弥陀仏の名号を信じ称えることと解釈された。(小経 P.124,化巻 P.401十住毘婆沙論 P.6 P.13往生礼讃 P.711)

Ⅱ 【左訓】「こころにとりたもつといふ」(高僧 P.579)

Ⅲ 本願の名号をしっかりととりたもつこと。(愚禿上 P.505))

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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