「無念」の版間の差分
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1.無相離念の理観のこと。形相を離れて理を観じ、真理と一体になること。分別的な限定を超えた無相の真如にかなう無分別智のこと。([[行巻#P--171|行巻 P.171]], [[信巻本#P--245|信巻 P.245]],[[消息上#P--736|御消息 P.736]], [[消息下#P--805|御消息 P.805]]) | 1.無相離念の理観のこと。形相を離れて理を観じ、真理と一体になること。分別的な限定を超えた無相の真如にかなう無分別智のこと。([[行巻#P--171|行巻 P.171]], [[信巻本#P--245|信巻 P.245]],[[消息上#P--736|御消息 P.736]], [[消息下#P--805|御消息 P.805]]) | ||
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2008年1月5日 (土) 20:08時点における版
むねん
有念に対する語。
1.無相離念の理観のこと。形相を離れて理を観じ、真理と一体になること。分別的な限定を超えた無相の真如にかなう無分別智のこと。(行巻 P.171, 信巻 P.245,御消息 P.736, 御消息 P.805)
2.定善のこと。定善は心がひとつの対象に集中していて、思慮分別がはたらかないから無念という。 →有念 定善 。(御消息 P.737)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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