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− | :1.記は記別(認可、未来の果に対する証言)の意。記別のないこと。認証が得られないこと。無意味というほどの意。 ([[信巻本#P--219|信巻 P.219]]) | + | :1.記は記別(認可、未来の果に対する証言)の意。記別のないこと。認証が得られないこと。無意味というほどの意。 ([[信巻本#P--219|信巻 P.219]],[[愚禿下#P--524|愚禿下 P.524]]) |
:2.三性の一。善とも悪とも明記できないもの。 ([[化巻末#P--468|化巻 P.468]]) | :2.三性の一。善とも悪とも明記できないもの。 ([[化巻末#P--468|化巻 P.468]]) | ||
:3.答えないこと。外道(げどう)からの形而上学的質問に対して、釈尊が答えることが無意味であるとして黙して答えなかったこと。十四無記という。 | :3.答えないこと。外道(げどう)からの形而上学的質問に対して、釈尊が答えることが無意味であるとして黙して答えなかったこと。十四無記という。 |
2007年11月27日 (火) 16:24時点における版
むき
梵語アヴィヤークリタ(avyākŗta)の漢訳。
- 1.記は記別(認可、未来の果に対する証言)の意。記別のないこと。認証が得られないこと。無意味というほどの意。 (信巻 P.219,愚禿下 P.524)
- 2.三性の一。善とも悪とも明記できないもの。 (化巻 P.468)
- 3.答えないこと。外道(げどう)からの形而上学的質問に対して、釈尊が答えることが無意味であるとして黙して答えなかったこと。十四無記という。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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