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こうふくじ…
 
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 元久二年(1205)十月、興福寺の衆徒が専修念仏の停止を求めて九箇条からなる弾劾状(「[[興福寺奏状]]と呼ばれる」)を朝廷に提出し、建永二年(承久元年・1207)二月、法然聖人とその門弟が処罰された。→[[興福寺]]([[御伝鈔#P--1053|御伝鈔 P.1053]])
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  元久二年(1205)十月、興福寺の衆徒が<kana>専修(せんじゅ)</kana>念仏の<kana>停止(ちょうじ)</kana>を求めて九箇条からなる弾劾状(「<kana>[[興福寺奏状]](こうぶくじ そうじょう)</kana>と呼ばれる」)を朝廷に提出し、建永二年(承久元年・1207)二月、<kana>[[法然]](ほうねん)</kana>聖人とその門弟が処罰された。→<kana>[[興福寺]](こうぶくじ)</kana>([[御伝鈔#P--1053|御伝鈔 P.1053]])
  
 
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2006年1月6日 (金) 16:24時点における版

こうふくじ…

  元久二年(1205)十月、興福寺の衆徒が専修(せんじゅ)念仏の停止(ちょうじ)を求めて九箇条からなる弾劾状(「興福寺奏状(こうぶくじ そうじょう)と呼ばれる」)を朝廷に提出し、建永二年(承久元年・1207)二月、法然(ほうねん)聖人とその門弟が処罰された。→興福寺(こうぶくじ)(御伝鈔 P.1053)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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