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「善光寺の本願の御房」の版間の差分

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ぜんこうじのほんがんのおんぼう
 
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  善光寺の阿弥陀仏の化身とみなされていた<ruby><rb>聖</rb><rp>(</rp><rt>ひじり</rt><rp>)</rp></ruby>([[御伝鈔#P--1052|御伝鈔 P.1052]])
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[[jwp:善光寺式阿弥陀三尊|ウィキペディア(wikipedia):善光寺式阿弥陀三尊]]

2005年12月31日 (土) 17:04時点における最新版

ぜんこうじのほんがんのおんぼう

  『善光寺縁起』によると、同寺は、百済(くだら)から渡来した阿弥陀三尊(一光三尊像)を推古(すいこ)天皇十年(602)、本田善光(ほんだよしみつ)信濃(しなの)の自宅に安置し、皇極(こうぎょく)天皇元年(642)、さらにこれを同国水内郡芋井郷(現在の長野市)に移し堂宇を造営したのが起源であるという。善光寺の本願の御房とは、同寺の勧進聖で、阿弥陀仏の化身とみなされていた。(御伝鈔 P.1052

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

ウィキペディア(wikipedia):善光寺式阿弥陀三尊