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ぞんかく
 
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 (1290-1373)本願寺第三代覚如(かくにょ)上人の長子。諱(いみな)は光玄(こうげん)。嘉元元年(1303)東大寺で出家し、南都、比叡山で諸宗の教義を学んだ後、京都大谷に帰って父覚如上人に従い教化(きょうけ)を助けた。
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 (1290-1373)本願寺第三代<kana>覚如(かくにょ)</kana>上人の長子。<kana>諱(いみな)</kana>は<kana>光玄(こうげん)</kana>。嘉元元年(1303)東大寺で出家し、南都、比叡山で諸宗の教義を学んだ後、京都大谷に帰って父覚如上人に従い<kana>教化(きょうけ)</kana>を助けた。
  
元亨二年(1322)覚如上人より義絶される。その後も覚如上人と和解と義絶を繰り返したが、真宗教学を学問的に組織した功績は大きい。主な著書に『六要鈔ろくようしょう』十巻『浄土真要鈔じょうどしんようしょう』二巻『持名鈔じみょうしょう』二巻『歩船鈔ぶせんしょう』二巻『顕名鈔けんみょうしょう』『決智鈔けっちしょう』『嘆徳文たんとくもん』各一巻等がある。
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元亨二年(1322)覚如上人より義絶される。その後も覚如上人と和解と義絶を繰り返したが、真宗教学を学問的に組織した功績は大きい。主な著書に『<kana>六要鈔(ろくようしょう)</kana>』十巻『<kana>浄土真要鈔(じょうどしんようしょう)</kana>』二巻『<kana>持名鈔(じみょうしょう)</kana>』二巻『<kana>歩船鈔(ぶせんしょう)</kana>』二巻『<kana>顕名鈔(けんみょうしょう)</kana>』『<kana>決智鈔(けっちしょう)</kana>』『<kana>嘆徳文(たんとくもん)</kana>』各一巻等がある。
  
  
 
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2017年10月19日 (木) 15:28時点における版

ぞんかく

 (1290-1373)本願寺第三代覚如(かくにょ)上人の長子。(いみな)光玄(こうげん)。嘉元元年(1303)東大寺で出家し、南都、比叡山で諸宗の教義を学んだ後、京都大谷に帰って父覚如上人に従い教化(きょうけ)を助けた。

元亨二年(1322)覚如上人より義絶される。その後も覚如上人と和解と義絶を繰り返したが、真宗教学を学問的に組織した功績は大きい。主な著書に『六要鈔(ろくようしょう)』十巻『浄土真要鈔(じょうどしんようしょう)』二巻『持名鈔(じみょうしょう)』二巻『歩船鈔(ぶせんしょう)』二巻『顕名鈔(けんみょうしょう)』『決智鈔(けっちしょう)』『嘆徳文(たんとくもん)』各一巻等がある。


出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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