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 授は[[授記]]のこと。未来において最高のさとりを得るであろうことを仏が予言することをいう。普授とは一切衆生に授記することをいう。([[信巻末#P--264|信巻 P.264]])
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 授は[[授記]]のこと。未来において最高のさとりを得るであろうことを仏が予言することをいう。普授とは一切衆生に[[授記]]することをいう。([[信巻末#P--264|信巻 P.264]])
  
 
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成仏の授記
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:【102】 律宗の用欽師のいはく、「至れること、華厳の極唱、法華の妙談にしかんや。かつはいまだ普授あることを見ず。衆生一生にみな阿耨多羅三藐三菩提の記を得ることは、まことにいふところの不可思議功徳の利なり」と。([[信巻末#P--264|信巻 P.264]])
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2018年4月9日 (月) 16:29時点における版

ふじゅ

 授は授記のこと。未来において最高のさとりを得るであろうことを仏が予言することをいう。普授とは一切衆生に授記することをいう。(信巻 P.264)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

授記

成仏の授記

【102】 律宗の用欽師のいはく、「至れること、華厳の極唱、法華の妙談にしかんや。かつはいまだ普授あることを見ず。衆生一生にみな阿耨多羅三藐三菩提の記を得ることは、まことにいふところの不可思議功徳の利なり」と。(信巻 P.264)