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「未証浄心の菩薩」の版間の差分

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みしょうじょうしんのぼさつ
 
みしょうじょうしんのぼさつ
  
  初地から七地までの菩薩のこと。この位の菩薩は、まだ自他へのとらわれが残っているので、自利利他するのに<ruby><rb>作心</rb><rp>(</rp><rt>さしん</rt><rp>)</rp></ruby>(強い意志力)を必要とする。しかし八地以上の菩薩は、一切のとらわれをはなれ、作心をもちいず自在無碍のはたらきをするから浄心の菩薩という。([[証巻#P--313|証巻 P.313]])
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 十地のうちの初地から七地までの菩薩のこと。この位の菩薩は、まだ自他へのとらわれが残っているので、自利利他するのに<ruby><rb>作心</rb><rp>(</rp><rt>さしん</rt><rp>)</rp></ruby>(強い意志力)を必要とする。しかし八地以上の菩薩は、一切のとらわれをはなれ、作心をもちいず自在無碍のはたらきをするから浄心の菩薩という。 →[[十地]] ([[証巻#P--313|証巻 P.313]])
  
 
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2005年10月14日 (金) 17:56時点における版

みしょうじょうしんのぼさつ

 十地のうちの初地から七地までの菩薩のこと。この位の菩薩は、まだ自他へのとらわれが残っているので、自利利他するのに作心(さしん)(強い意志力)を必要とする。しかし八地以上の菩薩は、一切のとらわれをはなれ、作心をもちいず自在無碍のはたらきをするから浄心の菩薩という。 →十地 (証巻 P.313)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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