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じょうぜんほっきょう
 
じょうぜんほっきょう
  
 伝未詳。専阿弥陀仏(袴殿。鏡の御影の作者)と同一人物であるともいわれるが不明。 ([[御伝鈔#P--1051|御伝鈔 P.1051]])
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  伝未詳。<kana>専阿弥陀仏(せんあみだぶつ)</kana>(袴殿。<kana>鏡御影(かがみのごえい)</kana>の作者)と同一人物であるともいわれるが不明。 ([[御伝鈔#P--1051|御伝鈔 P.1051]])
  
 
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鏡の御影の作者については、巻留にある覚如上人の識語には1310(延慶三)年に補修されたと記され、筆者について「信実朝臣の息の袴殿 専阿弥陀仏」とされていて、似絵の名手として知られた藤原信実の子である専阿弥陀仏(為継)によって描かれたとされる。
 
鏡の御影の作者については、巻留にある覚如上人の識語には1310(延慶三)年に補修されたと記され、筆者について「信実朝臣の息の袴殿 専阿弥陀仏」とされていて、似絵の名手として知られた藤原信実の子である専阿弥陀仏(為継)によって描かれたとされる。

2005年12月31日 (土) 16:53時点における最新版

じょうぜんほっきょう

  伝未詳。専阿弥陀仏(せんあみだぶつ)(袴殿。鏡御影(かがみのごえい)の作者)と同一人物であるともいわれるが不明。 (御伝鈔 P.1051)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

鏡の御影の作者については、巻留にある覚如上人の識語には1310(延慶三)年に補修されたと記され、筆者について「信実朝臣の息の袴殿 専阿弥陀仏」とされていて、似絵の名手として知られた藤原信実の子である専阿弥陀仏(為継)によって描かれたとされる。