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「覈求其本釈」の版間の差分

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『入出二門偈』では、
 
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:'''願力成就を五念と名づく'''、仏をしていはばよろしく[[利他]]といふべし。([[二門#no2|二門 P.548]])
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と、『論註』の[[五念門]]は[[法蔵菩薩]]が修して成就し衆生に回向される五念門だとした。
 
と、『論註』の[[五念門]]は[[法蔵菩薩]]が修して成就し衆生に回向される五念門だとした。

2024年10月22日 (火) 13:25時点における最新版

かくぐ-ごほん-しゃく

  • 『論註』において衆生往生の因果は阿弥陀仏の本願力によることを述べられた釈文。

「覈」は、まことに、あきらかに、しらべると読み、おおわれている事実をしらべ明らかにするという意。「求」は推求という意。「其」は『浄土論』の「五門の行を修して自利利他す」の五念門成就を指す。「本」は本源の意。「釈」は解釈の意である。
よって「覈求其本釈」とは、衆生往生の因果の自利利他を因位の阿弥陀仏が速やかに成就された意を推察し明らかにする解釈ということ。
『入出二門偈』では、

願力成就を五念と名づく、仏をしていはばよろしく利他といふべし。
衆生をしていはば他利といふべし。まさに知るべし、いままさに仏力を談ぜんとす。(二門 P.548)

と、『論註』の五念門法蔵菩薩が修して成就し衆生に回向される五念門だとした。

かくぐごほんじゃく 覈求其本釈

 曇鸞が『論註』において、衆生往生の因果が阿弥陀如来の本願力によることを述べた文を指していう。 →三願的証(浄土真宗辞典)

◆ 参照読み込み (transclusion) ノート:覈求其本釈

覈求其本釈 (かくぐ-ごほんしゃく)

問曰 有何因縁 言速得成就 阿耨多羅三藐三菩提。
問ひていはく、なんの因縁ありてか「速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就することを得」といへる。
答曰 論言 修五門行 以自利利他 成就故。
答へていはく、『論』(浄土論)に「五門の行を修して、自利利他成就するをもつてのゆゑなり」といへり。
覈求其本 阿弥陀如来為増上縁。
しかるに覈(まこと)に其の本を求むるに、阿弥陀如来を増上縁となす。
他利之与利他 談有左右。
他利と利他と、談ずるに左右あり。
若自仏而言 宜言利他。
もし仏よりしていはば、よろしく利他といふべし。
自衆生而言 宜言他利。
衆生よりしていはば、よろしく他利といふべし。
今将談仏力。是故以利他言之。当知 此意也。
いままさに仏力を談ぜんとす、このゆゑに利他をもつてこれをいふ。まさに知るべし、この意なり
凡是生彼浄土 及彼菩薩人天所起諸行 皆縁阿弥陀如来本願力故。
およそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の起すところの諸行は、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑなり。(行巻 P.192)
何以言之 若非仏力 四十八願 便是徒設。
なにをもつてこれをいふとなれば、もし仏力にあらずは、四十八願すなはちこれ徒設ならん。(論註 P.155)

『浄土論』には浄土教の菩薩が修する五念門行が説かれているが、約生の表現の他利ではなく仏力をあらわす「利他」の語で説かれているから、仏の側からの仏力を談じている(今将談仏力)のだとされた。 以下、浄土往生によって速やかに成仏する根拠を、阿弥陀仏の四十八願のうちの、第十八願第十一願第二十二願の三願を引いて証明されている。→三願的証

三願的証
本願力


他利利他の深義
三願的証