「三願真仮」の版間の差分
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願海真仮ともいう。三願とは第十八・十九・二十願のことで、この三願に真実・方便の別があることをいう。「行巻」には | 願海真仮ともいう。三願とは第十八・十九・二十願のことで、この三願に真実・方便の別があることをいう。「行巻」には | ||
− | :「おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり」(註 | + | :「おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり」 ([[行巻#no101|註 P.201]]) |
とあり、真実の行信とは第十八願の行信、方便の行信とは「化身土巻」で示される第十九・二十願の行信をいう。親鸞は、第十九・二十願が衆生を第十八願に転入させるための権化方便の願としての意味があるとした。『浄土和讃』には、第十九願について | とあり、真実の行信とは第十八願の行信、方便の行信とは「化身土巻」で示される第十九・二十願の行信をいう。親鸞は、第十九・二十願が衆生を第十八願に転入させるための権化方便の願としての意味があるとした。『浄土和讃』には、第十九願について | ||
:「臨終現前の願により | :「臨終現前の願により | ||
: 釈迦は諸善をことごとく | : 釈迦は諸善をことごとく | ||
『観経』一部にあらはして | 『観経』一部にあらはして | ||
− | : 定散諸機をすすめけり」、(註 567) | + | : 定散諸機をすすめけり」、([[浄土和讃#no62||註 567]]) |
第二十願について | 第二十願について | ||
:「果遂の願によりてこそ | :「果遂の願によりてこそ | ||
: 釈迦は善本徳本を | : 釈迦は善本徳本を | ||
: 『弥陀経』にあらはして | : 『弥陀経』にあらはして | ||
− | : 一乗の機をすすめける」(註 568) | + | : 一乗の機をすすめける」([[浄土和讃#no65||註 568]]) |
とある。→[[六三法門]]。 | とある。→[[六三法門]]。 | ||
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2024年7月15日 (月) 21:00時点における版
さんがん-しんけ
さんがん-しんけ 三願真仮
願海真仮ともいう。三願とは第十八・十九・二十願のことで、この三願に真実・方便の別があることをいう。「行巻」には
- 「おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり」 (註 P.201)
とあり、真実の行信とは第十八願の行信、方便の行信とは「化身土巻」で示される第十九・二十願の行信をいう。親鸞は、第十九・二十願が衆生を第十八願に転入させるための権化方便の願としての意味があるとした。『浄土和讃』には、第十九願について
- 「臨終現前の願により
- 釈迦は諸善をことごとく
『観経』一部にあらはして
- 定散諸機をすすめけり」、(|註 567)
第二十願について
- 「果遂の願によりてこそ
- 釈迦は善本徳本を
- 『弥陀経』にあらはして
- 一乗の機をすすめける」(|註 568)
とある。→六三法門。