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「弥勒付属の一念」の版間の差分

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 釈尊が『大経』の説法を終えるにあたり、念仏の一法がいかなる時代においても留めおかれるよう、弥勒に与え託したこと。 →[[行の一念]]、[[付属]]、[[特留此経]]。
 
 釈尊が『大経』の説法を終えるにあたり、念仏の一法がいかなる時代においても留めおかれるよう、弥勒に与え託したこと。 →[[行の一念]]、[[付属]]、[[特留此経]]。
 
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名号の付属<br />
 
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: 仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。
 
: 仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。
 
:このゆゑに弥勒、たとひ大火ありて三千大千世界に充満すとも、かならずまさにこれを過ぎて、この経法を聞きて歓喜信楽し、受持読誦して説のごとく修行すべし。
 
:このゆゑに弥勒、たとひ大火ありて三千大千世界に充満すとも、かならずまさにこれを過ぎて、この経法を聞きて歓喜信楽し、受持読誦して説のごとく修行すべし。

2023年9月8日 (金) 15:26時点における最新版

みろくふぞくのいちねん

 弥勒付属の文、すなわち『大経』流通分に「乃至一念」とあるのを指す。仏が弥勒に付属された一声の称名のこと。(行巻 P.189)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

みろくふぞく 弥勒付属

 釈尊が『大経』の説法を終えるにあたり、念仏の一法がいかなる時代においても留めおかれるよう、弥勒に与え託したこと。 →行の一念付属特留此経

◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:弥勒付属

みろくふぞく/弥勒付属

釈尊説法をする際に、説法にもれた人々を教化することを期して未来において流通せしむべく、その所説の法門を未来仏である弥勒に対して付属することをいう。『三部経釈』には『無量寿経』の「仏、弥勒げたまわく。それ、かの仏の名号を聞くことを得ることあって、歓喜踊躍して、乃至一念せんに、まさに知るべし、この人、大利を得たりとす。すなわちこれ無上の功徳具足す」(聖典一・二八四/浄全一・三五)を引き、これを弥勒への付属とする。聖光は『西宗要』で『大阿弥陀経』や『平等覚経』にも「付属の文有り」(浄全一〇・一三一下)と述べ、それを紹介している。


【参照項目】➡弥勒


【執筆者:遠田憲弘】


名号の付属

 仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。
このゆゑに弥勒、たとひ大火ありて三千大千世界に充満すとも、かならずまさにこれを過ぎて、この経法を聞きて歓喜信楽し、受持読誦して説のごとく修行すべし。