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「一心…修するを」の版間の差分

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:寂静止を修せんためのゆゑに、一心にかの国に生ぜんと願ずる、これ第三の功徳の相なりと。([[証巻#P--333|証巻 P.333]])
 
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『論註』の当面では、[[奢摩他寂静三昧]]の行は此の世での修行であるが、御開山は浄土での修行とされた。
  
  
 
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2019年2月19日 (火) 21:28時点における版

 親鸞聖人は 「一心に専念し作願して、かしこに生じて奢摩他寂静三昧の行を修するを」 (証文類訓) と読まれた。 (浄土論 P.41)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

入第三門者 以一心専念作願 生彼 修奢摩他寂静三昧行故 得入蓮華蔵世界。是名入第三門。
為修寂静止故 一心願生彼国 是第三功徳相。

論註の訓
入第三門とは、一心専念にかしこに生ぜんと作願し、奢摩他寂静三昧の行を修するをもつてのゆゑに、蓮華蔵世界に入ることを得。これを入第三門と名づく。
寂静止を修せんがためのゆゑに、一心にかの国に生ぜんと願ず。これ第三の功徳相なり。 (浄土論 P.41)
御開山の訓
入第三門とは、一心に専念し作願して、かしこに生じて奢摩他寂静三昧の行を修するをもつてのゆゑに、蓮華蔵世界に入ることを得しむ。これを入第三門と名づく〉(浄土論)。
寂静止を修せんためのゆゑに、一心にかの国に生ぜんと願ずる、これ第三の功徳の相なりと。(証巻 P.333)

『論註』の当面では、奢摩他寂静三昧の行は此の世での修行であるが、御開山は浄土での修行とされた。