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 梵語ボーディサットヴァ (bodhi sattva) の音訳である[[菩提薩埵]]の略。覚有情・道衆生・道心衆生などと意訳する。初期には「さとりに定まった[[有情]]」の意で成仏以前の[[釈尊]]を指す言葉であったが、[[大乗仏教]]では[[出家]]・[[在家]]、男女を問わず「さとりをもとめて修行する者」の意として用いられた。そして、自らさとりを求める([[上求菩提・下化衆生|上求菩提]])とともに一切衆生をも利益しようとする([[上求菩提・下化衆生|下化衆生]])利他的意義が強調されるようになり、[[衆生]]を[[教化]]しつつある[[普賢]]・[[観音]]・[[文殊]]などの[[大菩薩]]の存在も説かれるようになる。このような大乗の菩薩は、願と行とをそなえ、自らさとりを完成する([[自利]])と同時に深い[[慈悲]]に根ざして一切衆生を[[救済]]しよう([[利他]])とする存在であるが、その願はそれぞれの菩薩によって異なる。それを象徴的に示したのが、普賢の行、観音の慈悲、文殊の智慧などである。さらに、菩薩は仏道を歩む修行者([[従因向果]]の菩薩)という向上的な意味とともに、すでに仏となったものが衆生救済のために菩薩のすがたをとる([[従果還因|従果向因]]の菩薩)という向下的な意味をあわせもつようになる。『大経』に説かれる[[法蔵菩薩]]についても、その発願・修行の結果、[[阿弥陀仏]]となったと説かれているが、[[久遠実成]]の阿弥陀仏が、衆生救済のために因位の菩薩のすがたを示したものとする見方もある。なお、菩薩が仏果に至るまでの階梯については、一般に『瓔珞経』に説かれる十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚の五十二位説が用いられる。このうち、十信を外凡、十住・十行・十回向を内凡あるいは三賢、十地を十聖といい、また十住を習種性、十行を性種性、十回向を道種性、十地を[[聖種性]]、等覚を等覚性、妙覚を妙覚性の[[六種性]]とする。このほか、『梵網経』における十発趣・十長養・十金剛・十地の四十位説、『華厳経』における十住・十行・十回向・十地・仏地の四十一位説などがある。(浄土真宗辞典)
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;五十二位説の階位
 
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2024年7月2日 (火) 11:23時点における版

ぼさつ

 梵語ボーディサットヴァ(bodhisattva)の音写。菩提薩埵(ぼだいさった)ともいい、覚有情(かくうじょう)道衆生(どうしゅじょう)道心衆生(どうしんしゅじょう)などと漢訳する。 さとりを求める者。 大乗仏教では自ら菩提を求め上求菩提(じょうぐぼだい)、一切衆生(しゅじょう)利益(りやく)しよう下化衆生(げけしゅじょう)とする者のことをいい、利他的意義を強調するようになった。菩薩が仏果(仏のさとり)に至るまでの階梯については、一般に『瓔珞経(ようらくきょう)』の五十二位説が用いられる。 十信(じっしん)十住(じゅうじゅう)十行(じゅうぎょう)十回向(じゅうえこう)十地(じゅうじ)等覚(とうがく)妙覚(みょうがく)の五十二段階である。 十信位を外凡(げぼん)、十住・十行・十回向を内凡(ないぼん)三賢(さんげん)、十地を十聖(じっしょう)といい、また十住を習種性(しゅうしゅしょう)、十行を性種性(しょうしゅしょう)、十回向を道種性(どうしゅしょう)、十地を聖種性(しょうしゅしょう)、等覚を等覚性、妙覚を妙覚性の六種性とする。→補註16

菩薩

 ここでは浄土の菩薩のこと。 (浄土論 P.37)

 往生浄土を願う行者のこと。 以下に出る菩薩の語はいずれもこの意。 (浄土論 P.39)

 底本 (青蓮院本) には 「菩提」 とある。 (要集 P.962)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

ぼさつ 菩薩 

 梵語ボーディサットヴァ (bodhi sattva) の音訳である菩提薩埵の略。覚有情・道衆生・道心衆生などと意訳する。初期には「さとりに定まった有情」の意で成仏以前の釈尊を指す言葉であったが、大乗仏教では出家在家、男女を問わず「さとりをもとめて修行する者」の意として用いられた。そして、自らさとりを求める(上求菩提)とともに一切衆生をも利益しようとする(下化衆生)利他的意義が強調されるようになり、衆生教化しつつある普賢観音文殊などの大菩薩の存在も説かれるようになる。このような大乗の菩薩は、願と行とをそなえ、自らさとりを完成する(自利)と同時に深い慈悲に根ざして一切衆生を救済しよう(利他)とする存在であるが、その願はそれぞれの菩薩によって異なる。それを象徴的に示したのが、普賢の行、観音の慈悲、文殊の智慧などである。さらに、菩薩は仏道を歩む修行者(従因向果の菩薩)という向上的な意味とともに、すでに仏となったものが衆生救済のために菩薩のすがたをとる(従果向因の菩薩)という向下的な意味をあわせもつようになる。『大経』に説かれる法蔵菩薩についても、その発願・修行の結果、阿弥陀仏となったと説かれているが、久遠実成の阿弥陀仏が、衆生救済のために因位の菩薩のすがたを示したものとする見方もある。なお、菩薩が仏果に至るまでの階梯については、一般に『瓔珞経』に説かれる十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚の五十二位説が用いられる。このうち、十信を外凡、十住・十行・十回向を内凡あるいは三賢、十地を十聖といい、また十住を習種性、十行を性種性、十回向を道種性、十地を聖種性、等覚を等覚性、妙覚を妙覚性の六種性とする。このほか、『梵網経』における十発趣・十長養・十金剛・十地の四十位説、『華厳経』における十住・十行・十回向・十地・仏地の四十一位説などがある。(浄土真宗辞典)

上求菩提・下化衆生
願作仏心
度衆生心
六種性
補註16
七祖-補註11
五十二位説の階位

Bosatunokaii.jpg

菩薩は仏と成るには、

第一阿僧祇劫(十住・十行・十回向)、第二阿僧祇劫(初地~七地)、第三阿僧祇劫(八地~十地)を経過する発心と修行とさとりを要するという。

そして、さらに百劫の間、相好を感得するための福業を修め、等覚位で元品の無明を断じて成仏(妙覚位)するという。


新纂浄土宗大辞典から転送

ぼさつのかいい/菩薩の階位

大乗の菩薩菩提心を発してから仏道修行を積み、仏果を獲得するまでの階位。諸経論によって階位の数や名称、開合の仕方が異なり、思想史的な発展も認められる。中国仏教において一般的に用いられるのは『菩薩瓔珞本業経』に説かれる十信・十住(習種性)・十行(性種性)・十回向(道種性)・十地(聖種性)・等覚等覚性)・妙覚妙覚性)であり、十信以下を外凡げぼん、十住以上を内凡ないぼんとし、十住・十行・十回向三賢さんげん、十地を十聖とよび、あわせて三賢十聖という。階位の詳目を示せば、十信位とは①信心②念心③精進心④慧心⑤定心⑥不退心⑦回向心⑧護心⑨戒心⑩願心、十住位とは①発心住②治地住③修行住④生貴住⑤方便住⑥正心住しょうしんじゅう⑦不退住⑧童真住どうしんじゅう法王子住⑩灌頂住、十行位とは①歓喜行②饒益にょうやく行③無瞋恨むしんこん行④無尽行⑤離痴行⑥善現行無著行⑧尊重行⑨善法行⑩真実行、十回向位とは①救護一切衆生離相回向くごいっさいしゅじょうりそうえこうしん不壊ふえ回向心③等一切仏回向心④至一切処回向心⑤無尽功徳蔵回向心⑥随順平等善根回向心⑦随順等観一切衆生回向心⑧如相回向心⑨無縛解脱回向むばくげだつえこうしん法界無量回向心、十地とは①四無量心(歓喜地)②十善心(離垢地)③明光心(発光地)④焰慧心(烙慧地)⑤大勝心(難勝地)⑥現前心(現前地)⑦無生心(遠行地)⑧不思議心(不動地)⑨慧光心(善慧地)⑩受位心(法雲地)であり、さらに等覚法界にゅうほっかい心)、妙覚(寂滅心)となる。 『華厳経』は十住・十行・十回向・十地・仏地の四十一位、『梵網経』は十発趣・十長養・十金剛・十地の四〇位、『仁王般若経』は十善・十信・十止・十堅・十地・仏地の五十一位、『首楞厳しゅりょうごん経』は乾慧地けんねじ・十信・十住・十行・十回向・四善根位・十地・等覚妙覚の五十七位、『摂大乗論』は願楽行地がんぎょうぎょうじ見道修道・究竟道の四位、『成唯識論』等は資糧位・加行位・通達位・修習位・究竟位の五位、『菩薩地持経』は種性住・解行住・歓喜住・増上戒住・増上意住・菩提分法相応増上慧住・諦相応増上慧住・縁起相応増上慧住・有行有開発無相住・無行無開発無相住・無礙住・最上菩薩住・如来住の十三住、および修性地・解行地・浄心地・行迹地・決定地・決定行地・畢竟地の七地を説く。また、学派・宗派ごとに採用する階位説が異なっており、法相唯識では四善根位を組み込んだ四十一位をとり、華厳宗では小乗の位および大乗の五十一位を小乗教・大乗始教・大乗終教頓教円教五時教と複雑に相関させながら説き、天台宗では五十二位を別教の位として、円教では理即・名字即・観行即・相似即・分証即・究竟即という六即を用いている。『無量寿経』『往生論』は階位を明記しないものの大乗菩薩道が思想的な主軸となっており、また中国浄土教では浄影寺慧遠などによって『観経九品の各位に大乗・小乗の階位を相当させ、願生者の往生前後の階位について多くの議論がなされた。法然以後の浄土教では浄土門あるいは易行道の立場から、一切衆生凡夫であることを主張するために、菩薩の階位に関する積極的な議論はあまり行われていない。ただし、聖冏は『頌義』に菩薩義・初分教義・後分教義・性頓義・相頓義などの項目を立て、随他扶宗の立場から、菩薩の階位について詳論している(浄全一二・五三上~一三二上)。


【参考】水野弘元「五十二位等の菩薩階位説」(『仏教学』一八、一九八四)、佐藤哲英『天台大師の研究』(百華苑、一九六一)


【執筆者:工藤量導】