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「具縛の凡愚屠沽の下類」の版間の差分

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『阿弥陀経義疏』([[阿弥陀經義疏#信巻(55)|*]])の引文。
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【56】またいはく(同[[阿弥陀經義疏#信巻(55)|*]])、「念仏法門は、愚智豪賤を簡ばず、久近善悪を論ぜず、ただ[[決誓猛信]]を取れば臨終悪相なれども、十念に往生す。これすなはち[[具縛の凡愚屠沽の下類|具縛の凡愚、屠沽の下類]]、刹那に超越する成仏の法なり。[[世間甚難信]]といふべきなり」と。([[信巻本#no55|信巻 P.247]])
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2023年8月29日 (火) 11:51時点における版

ぐばくのぼんぐ・とこのげるい

 「信巻」(本)に引かれた『阿弥陀経義疏』にある語で、戒度の『阿弥陀経聞持記』に、この語を釈して、「具縛の凡愚」とは「二惑の煩悩をすべて持っている者」、「屠沽の下類者」とは、「屠」は「生きものを殺す者」、「沽」は「酒を商う者」で悪人としている。→補註4 (信巻 P.247, 唯文 P.707)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『阿弥陀経義疏』(*)の引文。

【56】またいはく(同*)、「念仏法門は、愚智豪賤を簡ばず、久近善悪を論ぜず、ただ決誓猛信を取れば臨終悪相なれども、十念に往生す。これすなはち具縛の凡愚、屠沽の下類、刹那に超越する成仏の法なり。世間甚難信といふべきなり」と。(信巻 P.247)