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「欣慕の釈」の版間の差分

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『観経疏』散善義の深信釈の第三には、
 
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:また決定して深く、釈迦仏、この『観経』の三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして'''[[欣慕]]'''せしめたまふと信ず。 ([[観経疏 散善義 (七祖)#第三深信|散善義 P.457]])
 
:また決定して深く、釈迦仏、この『観経』の三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして'''[[欣慕]]'''せしめたまふと信ず。 ([[観経疏 散善義 (七祖)#第三深信|散善義 P.457]])
とある。御開山は、この「[[欣慕]]」の語に、聖道門の難行では「さとり」を得られず悲嘆している者に、[[易行]]の〔なんまんだぶ〕を称えることで安養の[[浄土]]を欣わしめ慕わしめる意をみておられたのであった。 →[[七深信]]
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とある。御開山は、この「[[欣慕]]」の語に、『観経』は、聖道門の難行では「さとり」を得られず悲嘆している者に、[[易行]]の〔なんまんだぶ〕を称えることで安養の[[浄土]]を欣わしめ慕わしめる意をみておられたのであった。 
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2018年5月13日 (日) 14:49時点における版

ごんぼのしゃく

 浄土(ねが)(した)わせるのが『観経』の定散二善であると解説された善導大師の釈義(「散善義」第三深信)をいう。(化巻 P.396)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『観経疏』散善義の深信釈の第三には、

また決定して深く、釈迦仏、この『観経』の三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしめたまふと信ず。 (散善義 P.457)

とある。御開山は、この「欣慕」の語に、『観経』は、聖道門の難行では「さとり」を得られず悲嘆している者に、易行の〔なんまんだぶ〕を称えることで安養の浄土を欣わしめ慕わしめる意をみておられたのであった。 

七深信