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:いかんが名づけて大悲とする。もしもつぱら念仏相続して断えざれば、その命終に随ひてさだめて安楽に生ぜん。もしよく展転してあひ勧めて念仏を行ぜしむるは、これらをことごとく大悲を行ずる人と名づく。([[信巻末#P--260|信巻引文 P.260]])
 
:いかんが名づけて大悲とする。もしもつぱら念仏相続して断えざれば、その命終に随ひてさだめて安楽に生ぜん。もしよく展転してあひ勧めて念仏を行ぜしむるは、これらをことごとく大悲を行ずる人と名づく。([[信巻末#P--260|信巻引文 P.260]])
 
と、自らが、なんまんだぶを称え実践することが「自信教人信……大悲弘普化 真成報仏恩」という言葉の意味であるとされたのであろう。浄土真宗には「後ろ姿で布教する」という言葉がある。これは自らがなんまんだぶを称えるという常行大悲の実践が、やがて『論註の、
 
と、自らが、なんまんだぶを称え実践することが「自信教人信……大悲弘普化 真成報仏恩」という言葉の意味であるとされたのであろう。浄土真宗には「後ろ姿で布教する」という言葉がある。これは自らがなんまんだぶを称えるという常行大悲の実践が、やがて『論註の、
:同一に念仏して別の道なきがゆゑに。遠く通ずるに、それ四海のうちみな兄弟とするなり。([[証巻#P--310|論註を証巻で引文 P.310]])
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:同一に念仏して別の道なきがゆゑに。遠く通ずるに、それ四海のうちみな兄弟とするなり。([[証巻#P--310|証巻で引文 P.310]])
という御同朋・御同行の世界であった。
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という御同朋・御同行の世界を開いていくのであった。
  
 
→[[教]]
 
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2017年11月15日 (水) 08:28時点における版

『往生礼讃』の文。

自信教人信 難中転更難
みづから信じ人を教へて信ぜしむること、難きがなかにうたたさらに難し。
大悲伝普化 真成報仏恩
大悲をもつて伝へてあまねく化するは、まことに仏恩を報ずるになる。(往生礼讃 P.676)

御開山は、智昇法師の『集諸経礼懺儀』を引文され、

自信教人信 難中転更難
みづから信じ人を教へて信ぜしむること、難きなかにうたたまた難し。
大悲普化 真成報仏恩
大悲弘くあまねく化するは、まことに仏恩を報ずるに成る。(信巻 P.261,化巻 P.411)

と、大悲は伝えるものではなく、弘(ひろ)く衆生を化益するものだとされておられる。浄土真宗(教団の意)は、伝道教団といわれ、特に蓮如さんのご教化によって一大教団となった。その意からすれば「大悲伝普化(大悲をもつて伝へてあまねく化する)」の「伝」が親しいのだが御開山はあえて大悲普普化」とされおられる。これは御開山が、

浄土真宗に帰すれども
 真実の心はありがたし
 虚仮不実のわが身にて
 清浄の心もさらになし (正像 P.617)
小慈小悲もなき身にて
 有情利益はおもふまじ
 如来の願船いまさずは
 苦海をいかでかわたるべき (正像 P.617)

などととされておられるように、自らを「煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌」(証巻 P.307)とみておられたからであろう。いわゆる「機の深信」の立場に立っておられたのである。それはまた『歎異鈔』で、

親鸞は弟子一人ももたず候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はばこそ、弟子にても候はめ。 弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し候ふひとを、わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり。 (歎異抄 P.835)

と、唯円が御開山の仰せとして語っているように、自ら師としての「教位」に立つことを否定し、御同朋・御同行として阿弥陀如来の本願を聞信する「聞位」に立たれたからであった。「教」には「教者聖人被下之言也(教とは、聖人下にかむらしむ言(ことば)なり)」とある意からも、自らを一介の凡愚として、教の位を否定されたのであろう。

傍証だが覚如上人が、

説導も涯分いにしへにはづべからずといへども、人師・戒師停止すべきよし、聖人の御前にして誓言発願をはりき。(口伝鈔 P.873)

と記しておられるのも、その意であろう。
御開山は「現生十種の益」(信巻 P.251)で「常行大悲の益」とされておられる。この常行大悲の益は、『安楽集』で『大悲経』を引いて、

いかんが名づけて大悲とする。もしもつぱら念仏相続して断えざれば、その命終に随ひてさだめて安楽に生ぜん。もしよく展転してあひ勧めて念仏を行ぜしむるは、これらをことごとく大悲を行ずる人と名づく。(信巻引文 P.260)

と、自らが、なんまんだぶを称え実践することが「自信教人信……大悲弘普化 真成報仏恩」という言葉の意味であるとされたのであろう。浄土真宗には「後ろ姿で布教する」という言葉がある。これは自らがなんまんだぶを称えるという常行大悲の実践が、やがて『論註の、

同一に念仏して別の道なきがゆゑに。遠く通ずるに、それ四海のうちみな兄弟とするなり。(証巻で引文 P.310)

という御同朋・御同行の世界を開いていくのであった。

外部リンク
法話「義なきを義とす」