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和朝親鸞聖人御影以下、
 
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:唯能常称如来号
 
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:応報大悲弘誓恩
 
:応報大悲弘誓恩
の文は覚如上人の筆であり、修復以後に墨書されたものである。覚如上人は『正信念仏偈]の「龍樹讃」にある「憶念弥陀仏本願」という信心に親しい文と「応報大悲弘誓恩」という念仏報恩を示す語を用いることによって「信心正因 称名報恩」の義意を顕そうとされたのであろう。<br>
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の文は、覚如上人による修復以後に墨書された覚如正因の筆跡である。覚如上人は『正信念仏偈]の「龍樹讃」にある「憶念弥陀仏本願」という信心に親しい文と「応報大悲弘誓恩」という念仏報恩を示す語を用いることによって「信心正因 称名報恩」の義意を顕そうとされたのであろう。<br>
以下に、『浄土真宗聖典全書』p901~902により推定される親鸞聖人の原讃銘を記しておく。
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以下に、『浄土真宗聖典全書』p901~902により、推定される親鸞聖人の原讃銘を記しておく。
  
 
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:以疑爲所止涅
 
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:槃之城以信□
 
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:能入{文}<ref>源空聖人の云く。まさに知るべし、生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。◇『選択集』信疑決判の文。p.1248</ref>
 
:釋親鸞云
 
:釋親鸞云
 
:還來生死輪轉之家 
 
:還來生死輪轉之家 
 
:決以疑情爲所止
 
:決以疑情爲所止
 
:速入寂靜无爲之城
 
:速入寂靜无爲之城
:必以信心爲能入{文}
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:必以信心爲能入{文}<ref>釋親鸞の云ふ。生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもつて所止とす。すみやかに寂静無為の城(みやこ)に入ることは、かならず信心をもつて能入とすといへり。 「正信念仏偈」源空讃。p.207</ref>
 
*原讃銘を切断塗抹の上、描表装。
 
*原讃銘を切断塗抹の上、描表装。
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{裏書}
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:專阿彌陀佛{信實朝民息也 號袴殿}
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:奉拜聖人御存生之尊像泣奉圖畫之 末代無雙重寶仰可歸敬之
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:   毛端不奉違{云々} 所得其證也
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:延喜三歲{庚戌}十一月廿八日以前奉修捕遂供養記
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:   慶長元歲{辛亥}五月九日於越州
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:   敎行證講談之次記之了
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{裏書}<br>
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専阿弥陀仏{信実朝民息也 号袴殿}<br>
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奉拝聖人御存生之尊像泣奉図画之 末代無双重宝仰可帰敬之<br>
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   毛端不奉違{云々} 所得其証也
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延喜三歳{庚戌}十一月廿八日以前奉修捕遂供養記<br>
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   慶長元歳{辛亥}五月九日於越州<br>
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   教行証講談之次記之了
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報恩思想とは歴史的一段階である封建制にその源を求めることも出来るのだが、敗戦という事態によって、浄土真宗に於ける報恩謝徳という概念までも捨て去られてしまっている現在、報恩という概念は礼をいう程度の意味合いしか持っていないようになっているのではなかろうか。<br>
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<references/>
称名を報恩行としてのみ捉えるならば、御開山が、
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:大行者 則称無礙光如来名。
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::大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。
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:斯行即是 摂諸善法 具諸徳本。極速円満 真如一実功徳宝海。 故名大行。
+
::この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。
+
と、いう
+
:爾者称名 能破衆生一切無明 能満衆生一切志願。
+
::しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。
+
:称名則是 最勝真妙正業。正業則是念仏。念仏則是 南無阿弥陀仏。
+
::称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。
+
:南無阿弥陀仏 即是正念也。可知。
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::念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。
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ということを、知ることができないのではないだろうか。
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[[Category:追記]]

2015年7月26日 (日) 10:08時点における版

親鸞聖人 鏡の御影


「鏡御影」の
和朝親鸞聖人御影以下、

憶念弥陀仏本願
自然即時入必定
唯能常称如来号
応報大悲弘誓恩

の文は、覚如上人による修復以後に墨書された覚如正因の筆跡である。覚如上人は『正信念仏偈]の「龍樹讃」にある「憶念弥陀仏本願」という信心に親しい文と「応報大悲弘誓恩」という念仏報恩を示す語を用いることによって「信心正因 称名報恩」の義意を顕そうとされたのであろう。
以下に、『浄土真宗聖典全書』p901~902により、推定される親鸞聖人の原讃銘を記しておく。

{上段}

(本願名號正定業 至心信樂願爲)因
(成等覺證大涅槃 必至滅度願成)就
(如來所以興出世 唯說彌陀本願海)
(五濁惡時群生海 應信如來如實)言
(能發一念喜愛心 不斷煩惱得)涅槃
(凡聖逆謗齊廻入 如衆水入海一)味
(攝取心光常照護 已能雖破無明)闇
(貪愛瞋憎之雲霧 常覆眞)實信心天
(譬如日光覆雲霧 雲霧之下)明無闇
(獲信見敬大慶喜 卽橫超截五惡)趣{文}
  • 原讃銘を切断塗抹の上、現讃銘を墨書継紙。()内は切断した部分の推定。

{下段}

源空聖人云
當□生死之家
以疑爲所止涅
槃之城以信□
能入{文}[1]
釋親鸞云
還來生死輪轉之家 
決以疑情爲所止
速入寂靜无爲之城
必以信心爲能入{文}[2]
  • 原讃銘を切断塗抹の上、描表装。


{裏書}

專阿彌陀佛{信實朝民息也 號袴殿}
奉拜聖人御存生之尊像泣奉圖畫之 末代無雙重寶仰可歸敬之
   毛端不奉違{云々} 所得其證也
延喜三歲{庚戌}十一月廿八日以前奉修捕遂供養記
   慶長元歲{辛亥}五月九日於越州
   敎行證講談之次記之了


新字
{裏書}
専阿弥陀仏{信実朝民息也 号袴殿}
奉拝聖人御存生之尊像泣奉図画之 末代無双重宝仰可帰敬之
   毛端不奉違{云々} 所得其証也

延喜三歳{庚戌}十一月廿八日以前奉修捕遂供養記
   慶長元歳{辛亥}五月九日於越州
   教行証講談之次記之了



  1. 源空聖人の云く。まさに知るべし、生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。◇『選択集』信疑決判の文。p.1248
  2. 釋親鸞の云ふ。生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもつて所止とす。すみやかに寂静無為の城(みやこ)に入ることは、かならず信心をもつて能入とすといへり。 「正信念仏偈」源空讃。p.207