「うじょう」の版間の差分
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『高僧和讃』巻末の一首には「衆生」とある。([[正像末和讃#P--605|正像 P.605]]) | 『高僧和讃』巻末の一首には「衆生」とある。([[正像末和讃#P--605|正像 P.605]]) | ||
− | 梵語サットヴァ(sattva)の漢訳。< | + | 梵語サットヴァ(sattva)の漢訳。<kana>情(こころ)</kana>を有するもの。生きとし生けるものの意。<kana>旧訳(くやく)</kana>では衆生、新訳では有情と漢訳する。→[[衆生]](しゅじょう) |
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2018年5月1日 (火) 20:49時点における版
有情
『高僧和讃』巻末の一首には「衆生」とある。(正像 P.605)
梵語サットヴァ(sattva)の漢訳。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
衆生とは蜎飛蠕動はおろか、六道に存在する全ての存在状態を表す言葉だが、情を持ち、情ゆえに苦しまねばならない人間を指し示す言葉として玄奘三蔵法師は有情と翻訳されたのであろうか。山河大地などの非情に対して有情(感情や意識をもっているもの)とされたのかもしれないのだが。
『成唯識論述記』には
- 梵云 薩埵 此言有情。有情識故。今談衆生有此情識故名有情。
- 梵に薩埵と云う。ここに有情と言う。情識あがゆえに。今衆生を談じてこの情識あるがゆえに有情と名ずく。
とある。